◎山口幸洋博士と「一型アクセント」の研究
今月24日のコラム〝「一型アクセント」についての大野仮説〟において私は、日本における「一型(いっけい)アクセント」研究の第一人者は、山口幸洋である、と書いた。ただし、山口の一型アクセント研究は、学問の世界においては、「異説」という扱いを受けているらしい。
山口幸洋(やまぐち・ゆきひろ)は、在野の方言研究者(1936~2014)。本業は経営者で、静岡県浜名郡新居町(あらいちょう)で燃料店を営んでいた(新居町は、2010年に湖西〈こさい〉市に編入)。
1992年、64歳にして、静岡大学人文学部専任講師となる。1994年に同学部助教授、1998年に教授、1999年に退官。
1998年12月、ひつじ書房から、『日本語方言一型アクセントの研究』を出版。1999年7月、同論文により文学博士を授与された(大阪大学、乙第07818号)。山口が、博士号を申請したのは、自分の研究の成果が、言語学会会長・音声学会会長まで務めた某氏に「横取り」されたからだったという。
このあと、当ブログでは、日本語におけるアクセントについて、日本語における「一型アクセント」について、整理する。その後、「一型アクセント」に関する通説と異説についても解説する。さらに、「一型アクセント」についての研究は、日本語をめぐる謎の解明につながるだろう、ということを述べてみようと思っている。
とりあえず本日は、言語学者・国語学者として知られる金田一春彦(1913~2004)が、戦中の1943年(昭和18)に発表した論文「国語アクセントの史的研究」の一部を紹介することにする。
むすび 再びアクセント史的研究の意義に就て
国語アクセントの地理的研究は現在の所、可成〈カナリ〉進んでゐて、全国どの地方には大体どのやうな性質のアクセントが行はれてゐるか、と言ふ程のことは大体明らかとなつてゐる状態でありますが、一方国語アクセントの歴史的研究の方は、遅々として進まず、例へば東京式アクセントと近畿式アクセントとは同じもとから別れ出たことは認められながら、れれでは何時頃如何にして別れたか、などと言ふ最も興味深い問題でも、まだ定説と言ふやうなものは立てられてゐない状態であります。又、原始日本語に於けるアクセントの種類とか、一型アクセント成立の事情とか言ふ問題も、まだ殆ど手をつけられてゐないのであります。
併し国語アクセントと言ふものを科学的に研究するためには、此等は是非明らかにしたい問題でありまして、殊に東京式アクセントと近畿式アクセントとが、現在非常に面白い状態に分布して居り、而も此の二つが悠久の昔に分離したと見られることに思ひ至ります時、此の対立がどうして出来上つたか、と言ふ問題を考へることは、啻に〈タダニ〉国語アクセントを科学的に研究するにとゞまらず、遠い昔の日本民族の文化の交流の歴史を考察することにもなるのではありますまいか。
此の方面の研究に進まれる同志が一人でも多く出でられんことを望みつゝ、此の稿を終へます。 (十七、一、十八)
金田一春彦の論文「国語アクセントの史的研究」は、日本方言学会編『国語アクセントの話』(春陽堂書店、1943年3月)に収録されている。本日、紹介したのは、同論文の「むすび」の部分である。短い文章だが、日本語のアクセントという問題についての、要を得た紹介になっている。
明日も、引き続き、『国語アクセントの話』という本について述べる。