礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本人は、いつから「無宗教」になったのか

2022-07-31 02:54:25 | コラムと名言

◎日本人は、いつから「無宗教」になったのか

 昨日の話の続きである。私は、『日本人は本当に無宗教か』(平凡社新書、二〇一九)の中で、日本人の「無宗教」は、あくまでも、「近代の所産」であると述べた。
 私見によれば、もともと日本人は、厚い信仰心を持っており、安定した宗教的環境の中で生活していたが、近代以降、国家の宗教政策の影響によって、「無宗教」という国民性を帯びるにいたったのである。
 手抜きで申し訳ないが、以下は、『日本人は本当に無宗教か』の終章からの引用である。

 なぜ日本人は「無宗教」になったのか。この問いに対する本書の答えは、きわめてシンプルなものである。
 国家権力、ないし、それに追随する知識人が、「宗教」というものに対して、禁圧や介入を繰り返してきた結果、「宗教」に対する民衆の意識が、偏向した形で固定してしまったから――というのが、その答えである。この「偏向した形で」というのは、もう少し言えば、①ネガティブな形で、②習俗を否定する形で、③混乱を招くような形で、ということである。三か条に分けて補足する。

 ①戦国時代の一向宗、江戸時代のキリスト教および不受不施派など、権力の支配を受け入れようとしなかった宗教は、権力から徹底的に弾圧された。昭和前期の「大本」や「ひとのみち」も同様である。そうした宗教は、権力から見れば「邪宗門」、「邪宗」である。しかし、宗教というものは、政治権力や国家権力の原理とは異なる原理で存立しているものであって、多かれ少なかれ、権力というものを「相対的に」捉えているところがある。
 宗教がそういう存在である以上、権力の側からすれば、それは基本的に「邪宗門」、「邪宗」ということになろう。――権力側のそうした「宗教=邪宗」観は、徳川幕府から明治政府に受け継がれ、昭和前期にまで及んだ。あるいは、今日にまで及んでいる。権力側のこうしたネガティブな宗教観は、知識人の言説を通して、大衆の間にも浸透していった。

 ②発足当初の明治政府は、祭政一致を目標とし、慶応四年閏四月(一八六八年六月)に「神祇官」を置いた。また、全国各地の神社を中央集権的に再編成していった。その一方、明治六年(一八七三)、教部省は、加持祈禱・口寄せ・占いなどの呪術行為を禁止している。また、明治初年以降、盆踊り・クラヤミ祭・雑魚寝・おこもりなど、性的な解放をともなう習俗が、風紀を乱すという理由で当局の取締りを受けた。
 こうした呪術行為や習俗は、近代以前の日本においては、「宗教を補完するもの」、もしくは「宗教の一部」であったというのが、本書の見方である。ところが、明治に入るや、そうした呪術や習俗は、一転して、克服さるべき「迷信」や「陋習」と見なされることになった。

 ③発足当初の明治政府は、「神道」の国教化を目指していたが、間もなく、これは挫折する。明治四年(一八七一)に始められた「氏子調【うじこしらべ】」が、明治六年(一八七三)に廃止されたことは、そうした挫折の一例である。その後、「国教」の問題、「宗教」の問題をめぐって、政府内に意見の対立があったが、一八八九年(明治二二)に大日本帝国憲法が発布されたことで、一応の結着がつく。大日本帝国憲法は、信教の自由を認め、国教を定めなかった。憲法上、国教は存在しないはずだったが、実質的には国教が存在していた。いわゆる「国家神道」である。
 不思議なことに、この「国家神道」は、実質的には国教であったにもかかわらず、「宗教ではない」(非宗教)とされていた。非宗教たる「国家神道」を、他の諸宗教を超えたところに位置づけたのであった(国家神道体制)。ところが、帝国政府は、実質的に国教の位置を占めていた「国家神道」を、最後まで(敗戦にいたるまで)「宗教ではない」と言い繕った。こうしたことは、人々の「宗教」概念に決定的な混乱をもたらした。
    
 以上が、『日本人は本当に無宗教か』終章からの引用である。この考え方は、今でも変わっていない。しかし、今月八日の安倍元首相銃撃事件のあと明らかになってきた、「宗教」をめぐるこの国の実態は、私の想定を超えるものであって、上記のうち①については、補足あるいは訂正が必要なことを認めざるを得ない。【この話、続く】

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「日本には宗教のオーソドキシーがない」紀藤正樹弁護士

2022-07-30 04:17:33 | コラムと名言

◎「日本には宗教のオーソドキシーがない」紀藤正樹弁護士

 インターネット「プレジデントオンライン」で、今月二八日配信の「日本は世界最悪のカルトの吹き溜まり…統一教会がデタラメな教義で大金を巻き上げられた根本理由」という記事を読んだ。執筆者は、紀藤正樹弁護士である。
 記事の「リード」の部分には、次のようにある。

 なぜ統一教会は日本で信者を増やせたのか。カルト問題に取り組む弁護士の紀藤正樹さんは「日本はカルトの世界的な吹きだまりになっている。軸となる宗教がなく、信教の自由の幅が大きいために、カルトを規制できず繁栄を許してしまった」という――。

 同記事の四ページ目に、「■法的規制も、社会的規制も緩すぎる」という項がある。ここから、引用させていただく。

 日本では多くの家で、キリスト教徒ではないのに、クリスマスにはツリーを飾ってお祝いをします。神道を信仰しているわけではないのに、正月には神社へ初詣にいき「賽銭」という献金をします。
 仏教徒ではないのに、その前日の大晦日にはお寺で除夜の鐘をついたりもします。七五三は神社に行き、結婚式は教会で挙げ、葬式はお寺と、考えてみればムチャクチャです。
 日本人は、宗教にはきわめて寛容で、悪くいえばだらしない感じすらします。
 もちろんこれは、柔軟で融通がきくとか、新しもの好きで好奇心も旺盛だとか、日本人のよいところの表れですから、一概に否定すべき話ではありませんが、それにしても、という印象を受けます。
 結局、日本には宗教のオーソドキシー(正統的な信仰)がない、つまり基準となる背骨のような宗教がなく、信教の自由の幅が大きいために、カルトを問題視したり監視したり批判したりすることが少ないのです。だから、カルトが繁栄してしまいます。

「日本には宗教のオーソドキシーがない」とあるが、私としては「日本人には宗教のオーソドキシーがない」と言い換えたい。日本の「国家」については、必ずしも「宗教のオーソドキシーがない」とは言えないと考えるからである。「日本人」の問題として捉えた上で、この紀藤弁護士の言葉に賛同したいと思う。「宗教のオーソドキシー」がないから、カルトが繁栄するとあるが、この点についても、「日本人」の問題として捉えれば、その通りだと思う。
 私は数年前に、『日本人は本当に無宗教か』という本を書いたことがある(平凡社新書、二〇一九)。その「あとがき」で私は、オウム真理教事件に触れ、次のように述べた。

 ……オウム真理教という宗教が、多くの人々を惹きつけた背景として、日本人が「無宗教」であるということが挙げられると思う。「無宗教」であるゆえに、「生・性・病・死」といった人生の根本的問題について悩んだときに、みずからを支える指針がない。「無宗教」であるゆえに、宗教というものに対して「耐性」(抵抗する力)がない。オウム真理教は、そういう「無宗教」の人々を惹きつけながら、急成長していったのではないだろうか。

 この本で私は、日本人を「無宗教」と規定した。ただし、日本人の「無宗教」は、あくまでも、「近代の所産」であるというのが、この本の眼目だった。【この話、続く】

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「それでは皆さま、ごきげんよろしく」つばめガール

2022-07-29 00:02:32 | コラムと名言

◎「それでは皆さま、ごきげんよろしく」つばめガール

 映画『つばめを動かす人たち』(日映科学製作所、一九五四)をビデオで観て、気づいた点などについて述べている。本日は、その四回目(最後)。

 このあと列車は、岐阜、京都に停車したはずだが、それを映す場面はない。
 大阪の市街が見えてくる。つばめガールから、最後の車内放送。「皆さま、お疲れさまでございました。間もなく、終着駅大阪でございます。どなたさまも、お忘れ物のないよう、ご用意くださいませ。本日は、ご乗車くださいまして、ありがとうございます。それでは皆さま、ごきげんよろしく」。
 大阪駅に着いたのは、十七時すこし前か。乗客が降りはじめたあたりで、時報のような音が聞えるからである。
 乗客が降り終えたころ、ふたりのつばめガールが、花束を持って、機関車のほうに駆け寄る。機関助手が、窓からこれを受けとる。機関助手の笑顔がさわやかである。
 機関士と機関助手は、宮原機関区で乗務終了点呼を受ける。機関車は入庫し、係員の手による入念な点検が始まる。
 そして翌朝。蒸気機関車「C62 18」は、上りの「つばめ」を牽引するため、出庫していく。ここで、「終」のマーク。
 この記録映画は、音楽がすばらしい。担当は、伊福部昭(いふくべ・あきら)である。伊福部は、一九五四年(昭和二九)一一月三日公開の東宝映画『ゴジラ』の音楽を担当したことで知られる。
『つばめを動かす人たち』の公開は、一九五四年(昭和二九)だというが、月日まではわからない。撮影されたのが、同年八月末だとすると、公開は同年一一月前後か。だとすると、伊福部は、この年のほぼ同時期に、空想科学映画『ゴジラ』と教育映画『つばめを動かす人たち』というふたつの映画に関わっていたことになる。

*このブログの人気記事 2022.7・29(10位に極めて珍しいものが入っています)

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名古屋から先は、蒸気機関車C62が牽引

2022-07-28 01:11:13 | コラムと名言

◎名古屋から先は、蒸気機関車C62が牽引

 映画『つばめを動かす人たち』(日映科学製作所、一九五四)をビデオで観て、気づいた点などについて述べている。本日は、その三回目。

 浜松駅を出てすぐ、つばめガールによる車内放送。「皆さまにお尋ねいたします。カマタ・カズト様、カマタ・カズト様に電報でございます。乗務員までお知らせくださいませ」。そう、この時代は、列車の乗客に向けて、電報を打つことができたのである。
 列車は、浜名湖の上にかかる鉄橋を渡る。さらに行くと、上りの「つばめ」が近づいてきて、すれ違う。カメラは、列車最後尾にある展望車から、展望台に立つ男女の子どもと、つばめガール一名の姿を映している。三人とも、去ってゆく上り列車に向かって手を振っている。いちばん激しく振っているのは、つばめガールである。
 ビデオのパッケージにある説明によれば、すれ違った地点は「新所原付近」である。浜松駅の六つ先に新所原(しんじょはら)という駅があるが、そのあたりですれ違ったということだろう。
 やがて列車は、名古屋駅のホームにはいる。ホームの時計は、午後一時五九分を指している。この駅では、機関車が蒸気機関車に交換され、それに伴って、乗務員も交替する。
 画面は、木曽川駅の駅舎内に変わる。木曽川駅は、岐阜駅のひとつ手前の駅である。駅長らしい人物が、鉄道電話で運転指令所に指令を仰いでいる。「975列車」が、五分遅れて同駅に到着したが、特急「つばめ」との関係をどうするか、という内容である。これを受けた「列車指令」は、即決した上で、指令を発する。残念ながら、指令の内容が、よく理解できないのだが、「975列車」を岐阜駅まで運行し、同駅で「つばめ」の後発とせよ、と言っているらしい。
 当時、名古屋駅・大阪駅間には、まだ電化されていない区間があった。そこで、「つばめ」の機関車は、この名古屋駅で、蒸気機関車に交換される。「C62 18」というプレートのついた蒸気機関車がやってきて、列車に連結される。機関車の正面には、「つばめ」のヘッドマークがあるが、EF58に付いていたものとデザインが違う。機関車側面にもツバメの図案。連結後、ただちに出発。ホームでは、風格のある駅長が、敬礼をしながら見送っている。
 蒸気機関車の牽引する「つばめ」は、大阪に向かって爆走。カメラは、何度か動輪の激しい動きを映し出す。
 トンネルが近づくと、機関士はゴーグルを取り出して装着。トンネル内にはいったあとは、上着の袖で、鼻と口を覆っている。
 やがて米原駅着。ここでまた、乗務員の交替がある。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2022・7・28(10位になぜか『暗黒街のふたり』)

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前方の踏切りで小型トラックが立ち往生

2022-07-27 00:52:51 | コラムと名言

◎前方の踏切りで小型トラックが立ち往生

 映画『つばめを動かす人たち』(日映科学製作所、一九五四)をビデオで観て、気づいた点などについて述べている。本日は、その二回目。

 横浜駅を過ぎたあたりだろうか、機関士が「徐行予告」と発声。徐行区間に近づいたようだ。続いて発声、「徐行三十五」。速度計の針は、ピッタリ「35」のところを指した。進行方向左側に、線路工夫が整列している。
 やがて、徐行区間を通り過ぎる。機関士、発声、「徐行解除」。どんどんスピードが増してゆく。窓を開け、外を眺めている少女の姿が映る。髪が風で揺れている。
 突然、列車が減速する。前方の踏切りの左はしで、小型トラックが立ち往生し、その後部が踏切り内に残っている。列車は、激しく警笛を鳴らしながら接近。あわや衝突か、というところで、トラックは、何とか踏切りの外に出た。
 カメラが、そのトラックを映している。トラックの前方に、反対側からやってきたオート三輪が見える。おそらく、このトラックは、一車線しかない踏切りにはいり、出ようとしたところに、反対側からオート三輪がやってきたので、踏切り内で立ち往生することになったのであろう。警報機もなければ、遮断機もない踏切りのようだった。
 この間、機関士の態度は冷静そのものである。踏切りを無事、通過したあとも、短く「オーライ」と言うだけで、表情に変化はない。
 沼津駅が近づく。機関士、「沼津停車」。機関助手、復唱、「沼津停車」。列車は、古めかしい造りの沼津駅に入線する。ホームの先端に、交替する機関士と機関助手が待っている。ここで、乗務員の交代。
 二分間停車して、一〇時五一分発。しばらくゆくと、海岸が見える。海水浴を楽しむ人々の姿がある。列車は、富士川と思われる川の鉄橋を通過する。
 ここでカメラは、食堂車内の光景を映し出す。すでに、昼食の時間帯なのか、食堂車は、ほぼ満席である。ウェイトレス、ウェイターが、通路を忙しく行き来している。
 やがて、浜松駅着。ホームには、ハーモニカを売る「ハーモニカ娘」がいる。ハーモニカを入れた籠には、「ヤマハ」という文字が書かれている。この駅でも、乗務員の交代がある。【以下、次回】

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