◎自由なる印度なくして自由なるアジアなし(ウー・バー・モウ)
情報局編『アジアは一つなり』の、「二、各国代表の演説」の部から、「ビルマ国代表 内閣総理大臣ウー・バー・モウ閣下演説(訳)」の章を紹介している。本日は、その三回目。
アジアは一つ
私が既に申し述べました東洋を全然変貌致しました種々の事件は、日本無くしては到底起り得なかつたものであります。我々多くの者が長い間彷ひ〈サマヨイ〉、救を求め得なかつた荒野から我々を救出してくれたのは東洋の指導国家日本であります。全東亜は日本に負ふ所実に多大であり、私は全東亜が欣然として日本に対して大いに報いる所のあることに付きましては完全なる確信を有するものであります。
私は敢て申します、本日の会合は誠に意義深き行事であります。議長閣の述べられましたるが如く、我々は正義、平等、互恵に基き、他を生かしむることに依り我も亦生くといふ大原則の下に新しい世界を創造しつゝあるのであります。有らゆる見地から見まして、東亜はそれ自体一箇の世界を成して居るものであります。即ち物質的には自給自足、否寧ろ溢るゝ許りに豊かであり、戦略的には不敗にして如何なる敵をも撃摧〈ゲキサイ〉出来、精神的には完成せられたる「一」であり、自ら別天地を形成して居ります。然るに我々アジア人は幾世紀もの長い間、以上の事実を忘却して居つたが為に、多大の損失を蒙つたのであります。即ち其の結果アジア人は遂にアジアを喪失するに至つたのであります。今や、日本のお蔭を以て我々は以上の事実に気がつき、之に依つて行動を開始した次第でありますから、アジア人は必ずやアジアを恢復するに相違なく、此の簡単なる真理の中にアジアの全運命が横たはつて居るのであります。
私は此の教訓を非常に高価なる代価を払つて体得した国から参つた者として所見を述べて居るのであります。多数の国家国民も此の教訓を得る為に苦い目に遭つて来ました。ビルマに付いて申しますれば、我々は慈悲も正義心もない敵に対して代価を払つたのみならず、有らゆる形式に於て、死と破壊との代価を払つて居る次第であります。僅〈ワズカ〉に一千六百万人のビルマ人が独力で国家として生れ出づる為に闘争したときは、常に失敗に終りました。何代にも亘つて我々の愛国者は奮起し、民衆を率ゐ、打倒英国に邁進したのでありますが、我々はアジアの一部に過ぎないこと、一千六百万の人間が為し得ないことも十億のアジア人が団結するならば容易に成就し得ること、是等の基礎的事実を認識するに至らなかつたが為に我々の敵に対する有らゆる反抗は仮借する所なく蹂躙〈ジュウリン〉されたのであります。斯くて今から二十年前に起つた全国的叛乱の際には、ビルマの村々は焼き払はれ、婦女子は虐殺され、志士は或は投獄され、或は絞殺され、又は追放されたのであります。併しながら、此の叛乱は敗北に終つたとはいへ、此の火焔、アジアの火焔はビルマ人全部の心中に燃え続けたのでありまして、反英運動は次から次へと繰返へされ、此のやうにして闘争は続けられたのであります。而して遂に、今日漸く〈ヨウヤク〉にして遂に、我々の力は千六百万のビルマ人の力のみでなくして、十億の東亜人の力である日が到来したのであります。即ち東亜が強力である限りビルマは強力であり不敗である日が到来したのであります。
以上私は東亜を全体として所見を申し述べて参りましたが、実は東亜は今尚全体として纏まるに至つては居らないのであります。我々は東亜圏が尚不完全であり、此処彼処〈ココカシコ〉に間隙〈カンゲキ〉のあることを認めざるを得ないのであります。それは特に印度を意味して斯く申し上げるのであります。何人〈ナンピト〉と雖も印度を除外して東洋を考へることは出来ず、此の点に付きましては別に理由を申し述べる必要は無いと思ひます。是迄私は屡〻自由なるなくして自由なるビルマなしと申して参りましたが、今日私は一歩を進めまして、自由なる印度なくして自由なるアジアなしと率直に断言致すものであります。
印度はアジアに於ける反アジア侵略の武器庫であり、宝庫であり、足場であります。故に侵略者を印度から、此の無尽蔵の宝物を有し、資源を有し、人力物力を有する印度から、放逐しなければならないのであります。我々は是等の印度の資源を敵の手から奪ひ取らねばならないのであります。是即ち私が印度の独立はアジアの独立に欠くべからざる要素であり、印度の闘争は実にアジアの闘争であり、我々の闘争であり、我々の戦争であると断定する私の所見に閣下各位が御同感であること信する所以であります。
私は、必ずや、スバス・チヤンドラ・ボース氏が、私の所言が些〈イササカ〉の誇張もない文字通りのものであり、而も絶対的信念を以て申し述べて居ることを御認めになるものと信じて疑ひません。【以下、次回】
今日の名言 2023・7・27
◎他を生かしむることに依り我も亦生く
ビルマ国首相ウー・バー・モウが、大東亜会議における演説の中で紹介した言葉。上記コラム参照。出所は不明だが、こういう言葉を、さりげなく引用できたバー・モウが、高い教養の持ち主であったことは間違いない。
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