◎美濃部達吉のタブーなき言説
昨日の続きである。昨日は、美濃部達吉の『新憲法概論』(有斐閣、一九四七年七月)の「序」を紹介したが、本日は、第一章「総論」第一節「新憲法制定の由来」の三「新憲法制定の手続」の全文を紹介する。あいかわらず、論旨は明快、文章にも無駄がない。
かつて、この部分を読んだとき、欽定憲法から民定憲法が生み出されているという矛盾を指摘しているところや、「憲法制定の為の特別の国民会議」を設けるべきだったと指摘しているところに驚き、「さすが」と思ったものである。
いま、改めて読み直してみると、次のような感想を持った。欽定憲法から民定憲法が生み出されているという矛盾の指摘は、間接的な形で、「帝国憲法の改正案を帝国議会の議に付する」勅書の問題性を指摘しているかのように読める。また、「憲法制定会議」を設けるべきだったという指摘は、ポツダム宣言に関する「回答書」の趣旨を尊重しようとしなかった連合軍司令部あるいは日本国政府に対する強烈な皮肉なのであろう。まさにタブーなき言説である。
とは言いながら美濃部は、最後は、「理論上の当否は暫く差措き、実際には」と断って、新憲法成立の有効性を認めている。この人は、筋を曲げない「大学者」であったと同時に、空気の読める「政治家」でもあったのだろう。このあたりも、今回の再読で感じたことである。
三 新憲法制定の手続
新憲法制定の手続としては、政府は従来の憲法第七十三条が依然其の効力を保有することを前提とし、政府に於いて其の原案を作成した上、同条第一項に依り勅命を以て議案を帝国議会の議に付したのであつた。其の付議に当つては左の如き勅書が議会に下された。
朕は国民の至高の総意に基いて、基本的人権を尊重し、国民の自由の福祉を永久に確保し、民主主義的傾向の強化に対する一切の障害を除去し、進んで戦争を抛棄して、世界永遠の平和を希求し、これにより国家再建の礎を固めるために、国民の自由に表明した意思による憲法の全面的改正を意図し、ここに帝国憲法第七十三条によつて、帝国憲法の改正案を帝国議会の議に付する。
御 名 御 璽
即ち改正草案の付議が憲法第七十三条に依り為されたものであることは、右の勅書に於いても明示せられて居る。
併しながら、我がポツダム宣言受諾申入に対する連合国政府の回答書には、日本国政府の最終の形態は国民の自由に表明する意思に依り決定せらるべきことを要求して居り此の要求は我が国に対し絶対の拘束力を有するものであるが、憲法第七十三条の規定が果して此の要求と相両立し得べきや否やは、可なり疑はしく思はれる。国民の自由意思に依つて最終の政府の形態を決定するとは、言ふまでもなく国民か新憲法の制定者であるべきことを意味するもので、即ち将来制定せらるべき我が新憲法が必ず民定憲法であるべきことを要求して居るのである。改正草案の前文劈頭〈ヘキトウ〉に、日本国民が此の憲法を確定する旨を声明して居るのも、新憲法が此の要求に副ふ〈ソウ〉ものであることを表示せんとするものに外ならぬ。然るに従来の我が憲法は、之とは反対に明白な欽定憲法であつて、天皇が之を制定たしたまうたのであり、憲法第七十三条もの亦此の欽定憲法主義は固く之を支持して居るもので、それに依る憲法の改正は天皇が之を行はせらるるのであつて、国民が其の自由意思に依つて自ら之を為すのではない。勿論、それには議会の議決を要するのであるが、議会は唯之に協賛するのみで、自ら其の制定者であるのではなく、憲法第五条に「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」とある規定は、此の場合にも等しく適用せられ、即ち天皇が議会の協賛を以て憲法を改正したまふのである。其の欽定憲法主義は殊に二〈フタツ〉の点に於いて明瞭に現はれて居る。一〈ヒトツ〉は発案権が専ら勅命に留保せられ議会には其の発案権が無いことであり、一〈ヒトツ〉は議会の議決を以ては未だ確定せず天皇の裁可あるに依り憲法の改正が始めて成立するものであることである。新憲法が真に自由に表明せられた国民の意思に依つて決定せられたものである為には、国民の代表者たる議会が自ら発案権をも有し、又議会の議決に依り若くは〈モシクハ〉国民投票に依つて其の改正が確定するものでなければならぬ。憲法第七十三条に依り勅命を以て議案を付議し天皇の裁可を得て其の改正を行ひながら、国民が自ら之を決定したものと声明するのは真実に反するの嫌〈キライ〉を免れない。
言ひ換ふれば、連合国政府の回答書に於ける日本政府の最終の形態が自由に表明せられた国民の意思に依つて決定せらるべきことの要求と、我が憲法第七十三条の規定とは、相両立し得ないもので、若し連合国政府の要求が我が国に対し絶対の拘束力を有するものとすれば、之と牴触〈テイショク〉する憲法第七十三条の規定は、それに依り当然其の効力を失つたものと為さねばならぬであらう。随つて正当な憲法改正の手続としては、新に「憲法改正手続法」とも称すべさ憲法七十三条に代はる単行法律を制定し、それに依つて例へば憲法制定の為の特別の国民会議の制を定め、新憲法草案の立案及び其の議決を一に〈イツニ〉此の憲法制定会議の権限たらしむるやうな方法を定むべきであつたと思はれる。
併し我が政府は此の見解を取らず、仮令〈タトイ〉原案は政府に於いて作成し勅命を以て之を議会の議に付するとしても、議会の自由意思に依り之を議決する以上は、自由に表明せられた国民の意思に依つて之を決定したものと看做す〈ミナス〉に十分であると為し、連合軍司令部も其の侭之を承認し、議会に於いても亦異議なく之に同意したのであるから、理論上の当否は暫く差措き、実際には憲法第七十三条が依然其の効力を有することは、法律上確定的に承認せられたものと見るの外なく、此の手続を経て制定せられた新憲法は、正常の手続に依り有効に決定せられたものと解せねばならぬ。