礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

高田保馬訳・グロッパリ『社会学綱要』について

2014-07-31 05:31:33 | コラムと名言

◎高田保馬訳・グロッパリ『社会学綱要』について

 坂上信夫の『土地争奪史論』から、高田保馬の話に跳んでしまうが、ご了解いただきたい。高田保馬の初期の著作(翻訳)に、グロッパリ原著・高田保馬訳『社会学綱要』(有斐閣書房、一九一三)がある。グロッパリは、イタリアの社会学者である。高田は、それまでイタリア語を学んだことはなかったが、この本を読むために、イタリア語を学び、読破すると同時に翻訳を完成させたと聞いたことがある。
 国立国会図書館のデジタルコレクションで、この本を閲覧すると、本扉に「経済学資料第三冊」とある。
 この「経済学資料」というのは、経済学者の河上肇が、当時、編集していた叢書で、第一冊はフェター原著・河上肇評釈『物財の価値』(有斐閣書房、一九一一)、第二冊がファイト著・河上肇抄訳『唯心的個人主義』(有斐閣書房、一九一三)であった。そして、その第三冊に、高田保馬の翻訳書『社会学綱要』が選ばれたということである。
 その『社会学綱要』の巻頭に、「発行の趣旨」という文章がある。内容からして、「経済学資料」という叢書の発行趣旨である。本日は、これを紹介してみよう。改行は原文のまま。

 発行の趣旨     河上 肇
一、本叢書は一般社会科学殊に経済学に関する古今名家の著述
 論説を紹介するを目的とするものである。
一、 紹介の方法は、或は翻訳に依り、或は抄録に止め、或は解説を以
 てし、或は評論を加ふる等、時の便宜に依りて必しも一様にせ
 ぬ積りである。
一、本叢書には時として自分以外の人の労作を編入することもあるであらう。

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高田保馬は、いつ「基礎社会衰耗の法則」を発表したのか

2014-07-30 05:18:30 | コラムと名言

◎高田保馬は、いつ「基礎社会衰耗の法則」を発表したのか

 高田保馬には、一〇〇冊に及ぶ著書、五〇〇篇に及ぶ論文があるという。正確な書誌は、まだ作られていないと思う。
 少し調べてみたが、高田が文学士の時代に、つまり、博士になる前に、「基礎社会衰耗の法則」という論文を発表していたかどうかがわからない。これについては、さらに調べてみたい。
 ただし、高田の初期の著作『社会学概論』(岩波書店、一九二二)には、「基礎社会衰耗の法則」という節が含まれていたらしい。もっともこれは、二〇〇三年に、ミネルヴァ書房から復刊された『社会学概論』を見て推測したことであって、一九二二年の初版を確認したわけではない。
 社会学者の富永健一氏は、高田保馬の研究家としても知られている。氏は、「社会保障におけるゲマインシャフト原理とゲゼルシャフト原理」という文章(一九八八、インターネットで閲覧可)の中で、次のように書いている。

 もともとは社会学理論の研究から勉強をはじめた私が、社会保障のような現実問題の実証的な研究に多少ともたずさわるようになったのは、比較的最近のことである。私にとっては新しい、この社会保障という研究頒域に出ていくにあたって、私は、私にとってのホームグラウンドである社会学理論、とりわけ社会変動(近代化・産業化)理論において立てられてきた周知の中心命題のひとつを、この新しい研究領域にもちこむことを考えた。その命題とは、近代化と産業化が、家族・親族および地域共同体によって担われてきたゲマインシャフト的社会関係をしだいに解体しつつある、ということである。この命題は、すでにはやく1922年に高田保馬によって「基礎社会衰耗の法則」として立てられたことに始まっている。私は、福祉国家の成立を、この家族・親族および地域共同体の解体という不可逆的な構造変動の結果、かつてそれらの「基礎社会」(高田は血縁社会と地縁社会とを合わせたものを基礎社会と呼び、これを派生社会ないし機能社会と対比させた)が果たしていた機能を代替してくれるものが国家以外にはなくなったため、として説明することができると考えたのであった。

 ここで、富永氏は、高田の「基礎社会衰耗の法則」について、ある程度の説明をおこなっている。そして、その法則を高田が、高田が発表した年を、一九二二年(大正一一)としているが、おそらく、この捉え方は間違っている。
 なぜなら、一九二二年(大正一一)というのは、坂上信夫の『土地争奪史論』が発表された年であって、そこで坂上が、高田の「基礎社会衰耗の法則」に言及しているからである。坂上は、同年よりも前に、高田の論文に接していたと考えるべきである。
 ちなみに、坂上の言によれば、彼は、「二千五百八十年」=西暦一九二〇年(大正九)には、『土地争奪史論』の原稿を、完成させていたという。【この話、続く】

追記 その後、『社会学概論』の第一版(一九二二年一二月)を確認したところ、そこには、「基礎社会衰耗の法則」は、収められていませんでした(2023・8・2追記)。

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高田保馬の「基礎社会衰耗の法則」に注目した坂上信夫

2014-07-29 04:51:54 | コラムと名言

◎高田保馬の「基礎社会衰耗の法則」に注目した坂上信夫

 昨日、坂上信夫の『土地争奪史論』(大同館書店、一九二二)の本文の冒頭、すなわち、「序説」の冒頭の二ページ弱を紹介した。
その少しあと(三ページ)に、次のような一節がある。

 所有の観念は、先づ自他殊別の観念が明瞭になることを第一の条件とするが故に、利害休戚を共にするものゝ群団と異る自余の群団との接触と葛藤に基き、他人の侵略によつて自らを守るに因り始めて発生するであらう。

 ここで坂上のいう「群団」とは、今日の言葉で言えば、「共同体」ということになろうか。さらに、その少しあと(四ページ)には、次のような一節がある。

 素より〈モトヨリ〉その葛藤の単位となるものは一の群団を基準とするものであつて、決して個人ではない。故に一の群団の中に在つて個人ば唯その一族の分子として考へられるだけで、絶対的な意味の人格の独立性を認められない。而してその群団は、経済的にも、政治的にも、また宗教的にもそれだけで已に〈スデニ〉完全な一己〈イッコ〉の共産体としての機能を備へたものであつて(*)、土地は彼等の生活そのものゝ為に存在する共有の自由な使用貨物〈カブツ〉に過ぎなかつたらしい。

 引用文中の(*)は、注を示す記号で、同ページの脚注に、「*高田文学士論文基礎社会衰耗の法則参照」とある。この「高田文学士」が、高名な社会学者・高田保馬〈タカタ・ヤスマ〉の若き日の姿であることは言うまでもない。坂上は、こうした社会学者の論文も摂取しながら、『土地争奪史論』を書いていたわけである。
 ところで高田保馬が、「文学博士」となるのは、一九二一年(大正一〇)のことである。ということは、高田は、博士になる前に、「基礎社会衰耗の法則」という論文を発表しており、坂上信夫が、その論文に注目していたということになる。【この話、続く】

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坂上信夫『土地争奪史論』(1922)のモチーフ

2014-07-28 05:47:30 | コラムと名言

◎坂上信夫『土地争奪史論』(1922)のモチーフ

 坂上信夫の『土地争奪史論』(大同館書店、一九二二)について紹介をしている。同書の凡例には、「本書は最後の一章即ち第十三章回顧の記述を尤も重要な主題とする」とある。しかし、この「回顧」の章は、表現が難しく、そう簡単には「主題」はつかめない。
 むしろ、この作品のモチーフを知るには、同書本文の冒頭部分、すなわち「序説」に注目すべきであろう。そこで本日は、同書の冒頭の二ページ弱を紹介してみよう。

 土地争奪史論         ■上信夫著(■は、偏が山、旁が反)
 序説 土地とその所有
 土地の所有は、人類として尤も当然な平等の権利である。生存の為の第一義的権利である。地上何ものゝ尊貴を以てしても、壟断〈ロウダン〉することを許さぬ平等の所有である。それが偏頗に所有せらるゝやうになつた経過は、如何なる必然の推移であったにしても、状態そのものは徹頭徹尾不合理である。それは、吾等の過去に背負ふ生活が、如何に不合理であつたかを尤も簡明に裏書する。如何にして、何故〈ナニユエ〉に、斯くの如き不合理が我等の祖先によつて成されたか。而してそれは最早その不合理に絶対に遵は〈シタガワ〉ねばならぬ程に必然性を有するものであるかどうか。
 之等の疑問を氷解する為には、先づその推移の経過を回顧するに如く〈シク〉はない。而してその不合理を招来した原因を窮めることによつて、偏頗を衡平に、不合理を合理に更める〈アラタメル〉為の方策を導き出すことが出来ぬとも限らない、寧ろその経過の動因を根本的に洞察するにあらざれば、百千の改革も革命も怖らくは空しい徒労に了るではなからうか。

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坂上信夫『土地争奪史論』の凡例

2014-07-27 06:29:28 | コラムと名言

◎坂上信夫『土地争奪史論』の凡例

 坂上信夫の『土地争奪史論』(一九二二、大同館書店)の本の巻頭には、三浦周行の「序」、本庄栄治郎の「序」、そして著者による「自序」がある。これらは、すでに紹介した。
 本日は、同書の「凡例」を紹介してみたい。凡例は、自序のあと、目次の前に置かれている。

 凡 例
▲本書記述の内容は本邦の史実に限られる。
▲本書は此の姉妹篇として別に作らうと思つてゐる「百姓の歴史」が、被支配者の側からせらるゝに対して、土地の包括約所有の主体即ち政冶的意味に於ける支配的立場にあるものを主とする更に異る側面から試みた観察の叙述である。
▲本書は制度の詮索を主題としない、故に法制成立の起源や意味や其他の史実については、略〈ホボ〉妥当なりと信ずる先学の考証と断定とに直ちに依憑〈イヒョウ〉する。
▲本書は最後の一章即ち第十三章回顧の記述を尤も重要な主題とする。前十二個章の記述は殆んど其立正と解明なりとも解せらる、されば此一章を読むことによつて、全篇叙述の意義と内容とを髣髴する事が出来る。
▲著者ば歴史の学徒でない、法律や経済学の正しき教養も受けたことはない、僅かに独学自修によりて雑駁にして杜撰な一知半解の知見を有するに過ぎない。而かもこの小冊子を作つて広く江湖に頒つ〈ワカツ〉所以は、真実に著者が衒誇の所為に出づるものでは決してない。著者は多くの没常識と錯誤と哂ふべき無識と膚浅〈フセン〉と、それに対する諸賢の嘲笑と叱責を深く自ら期待する。叱責が著者の知見を□すであらうから。嘲笑が著者を更に自奮に導いて又淬励勤学の道に奮ひ起たせるであらうから。盲者蛇に怖ぢざるの痴愚と無暴を敢てする所以である。
▲所有といふ観念の発生史的研究及びそれが依立する個人意識の起源と歴史及意味と性質等についての研究は、生物学的、社会学的、心理学的広範な分野に亘るから、別に「所有の観念と個人意識の発展」なる一冊に纏めて発表したいと思つてゐる。
▲引用参考書及諭文の筆者によつて蒙つた示教を感謝し、併せて叮嚀な校閲と指導と序文を賜はつた京都帝国大学教授三浦周行博士と、同助教授本庄栄治郎学士に深甚の謝意を表する。特に、此述作が成される間、常に善き鼓舞と激励とを忘れなかつた法学士野上信幸君が、此書成刊の日に到らずして卒然として長逝したことをおもへば、今更に無眼追慕の哀愁を禁ずることが出来ない。今此刊行にあたり、謹みて永遠の友情を捧げる。
  二千五百八十年此稿を訖る〈オエル〉   著 者

 引用文中、□の部分が読みとれないが、おそらく、「糾」であろう。

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