◎昭和初年における私立医学専門学校の「不正入学」問題
戦前の教育関係の専門誌である『教育思潮研究』をめくっているうちに、興味深い記事を見つけた。それは、私立の医学専門学校、歯科医学専門学校、薬学専門学校の「不正入学」が発覚したため、一九三二年(昭和七)四月、文部省が、これらの学校の「入学試験の答案」を厳重に調査し、「幾多の不正入学」を取り消したことについての記事である。
これは、戦前の教育関係事件としては、かなり衝撃的な事件だったと思われるが、寡聞にして今まで、この事件に触れた文章や研究に接したことがない。
とりあえず、同誌第七巻第三輯(一九三三年八月)の記事を引用しておこう。
―文部省は従来私立医専、歯科医専及薬専等で金品の寄付其他に依る不正入学があつた為め昨年〔一九三二〕四月これ等の学校に於て施行した入学試験の答案を厳重に調査した結果、幾多の不正入学を取消し、且つ各学校をして将来再びかかる学力不足の不正入学を許す場合は断乎たる措置に出づる方針を指示する処〈トコロ〉あつたが、学力不足によるこれ等の不正入学は徹底的に防止すると共にその卒業者の実力に遺憾なきを期する必要あるため、現在の医専、歯科医専及び薬専における学生の学力試験を行ふこととなり全国二十六校のうち左記十九校の最高学年の学生千四百名に対し左記要綱の通り学力試験が行はれた。―
実に驚くべき記事である。文部省は、入学試験答案の調査や不正入試の取り消しにとどまらず、学生の「学力試験」まで実施したというのである。理由はどうあれ、高等教育機関に対する国家権力の露骨な「介入」であることは間違いない。
さて、記事によれば、この「学力試験」は、一九三三年(昭和八)年の二月から三月にかけて実施されたという。私立医専の学科目は、「内科」、私立歯科医専の学科目は「補綴学」、私立薬専の学科目は「有機化学」だったという。
ちなみに、この当時、すでに「医術開業試験」(内務省管轄)は廃止されており、大学医学部・医専の卒業生には、無試験で医師の免許があたえられていた。このとき、文部省が一部の医専の卒業者におこなった「学力試験」は、実質的に「医術開業試験」を復活させたものと言えるし、また、戦後に導入された「医師国家試験」(厚生省管轄)を先取りするものとも言える。歯科医師・薬剤師の免許については調べていないが、ほぼ同様のことが言えるのではないかと思う。
さて、この「学力試験」は、全国二六校のうち一九校が対象となったという。ということは、全国の私立医専、私立歯科医専、私立薬専のほとんどで「不正入学」がおこなわれており、その卒業生の「実力」が疑われていたということになる。
参考までに、この時、「学力試験」の対象となった学校は、次の通り。
☆医専 東京医専・昭和医専・日本大学専門部医学科・東京女子医専・帝国女子医学薬学専門学校医学科(以上東京) 岩手医専(盛岡市) 九州医専(久留米市) 大阪医専(大阪市)
☆歯科 東京歯科医専・日本歯科医専・日本大学歯科(以上東京) 大阪歯科医専(大阪府) 九州歯科医専(福岡市)
☆薬専 明治薬専・東京薬専・帝国女子医学薬学専門学校薬学科(以上東京) 京都薬専(京都市) 大阪薬専(大阪府) 帝国女子薬専(大阪府)
ちなみに、今、NHKで放映されている「梅ちゃん先生」で、主人公の下村梅子が通っていた学校は、「城南女子医専」だった。「城南」という地名からして、大田区大森にあった帝国女子医学薬学専門学校がモデルではないか。
今日の名言 2012・6・30
◎方今列国ハ稀有ノ世変ニ際会シ帝国亦非常ノ時艱ニ遭遇ス
1933年(昭和8)3月27日付の「国際連盟離脱ニ際シ渙発セラレタル詔書」の一節。日本は、同日、国際連盟を脱退した。『教育思潮研究』第七巻第三輯(一九三三年八月)の「教育法令」欄から引用。方今〈ホウコン〉は、「ちょうど今」の意。世変〈セイヘン〉は、「世の中の変乱」の意。時艱〈ジカン〉は、「当面する難題」の意。詔書は、一般に、漢文調の難しいものが多いが、この「国際連盟離脱ニ際シ渙発セラレタル詔書」は、とりわけ難解という印象がある。