◎軍官民の道徳的腐敗に敗因がある(田中耕太郎)
昨日は、田中耕太郎『教育と政治』(好学社、一九四六)から、「国民教育と道徳の内面化に就て」という文章を紹介した。
本日は、同じ本から、「言論界の責任と其の粛正」という文章を紹介する(三三九~三四九ページ)。この文章は、敗戦直後の一九四五年(昭和二〇)九月六日、「大学新聞」に発表された。やや長いので、何回かに分けて紹介する。
言論界の責任と其の粛正
一
降服は我々の目前に否定すべからざる事実となつて出現した。敗戦に関する反省、其の原因の探求が相当突込んで行はれるやうになつた。戦争終結の最後的契機は原子爆弾の使用とソヴイエツト連邦の参戦の事実であるが、此の事実は仮令〈タトイ〉如何に其の影響する所が大なるにせよ皮相的原因に過ぎないのであり、敗因は我が既往十数年或は更に遡つて明治以降の思想的、道徳的、政治的及び文化的状態の中に伏在してゐたのである。此の中〈ウチ〉最も重要なものは道徳的原因である。
或は云ふであらう。明治以来教育の方針は我が古来の国民道徳に立脚し、国史は国民に國體の精華を教へ、又先人の忠誠愛国の数々の例を示し、教育勅語は暗誦し得るまでに国民の脳裏に刻み込まれてゐるではないか。然るに今次の戦争の進展に伴ひ軍官民の道徳的腐敗、無責任の事実は益々露骨に現はれて来た。それは往々西洋流の殊に英米流の個人主義的自由主義的思想が我が国民を蠱毒〈コドク〉したのだとして説明される。所で其の個人主義自由主義の本元〈ホンモト〉である英米が今次世界大戦に於て示した実力は果して何処から来るのであらうか。仮りにそれは往々説かれた如く物質文明と物量の優越に帰すべきものとしよう。技術上の大発見、大発明は真理の探求に対する献身的情熱なしには行はれ得ない。物量を生ずる資源の開発及び利用、これ亦科学的技術的文明の綜合とを必要とし、それ以外に秩序整然たる人的組織を必要とするのである。物質自体は戦争をなすものではない。物質を動かす人の精神力が戦ふのである。
況んや我れに我れの神、祖国及び主義あらば彼れにも彼れの神、祖国及び主義がある。我が国民全体として戦争に対する歿我的情熱に於て彼れが我れよりも当然劣つてゐると断言し得たのであらうか。
我が国は従来、殊に既往十数年間国家の政策上総てを犠牲にして戦備の充実を計つて来た。国の予算の百分率から見て軍事費の総額は英米に比較にならぬ大なるものがあつた。其の以外に教育其の他国家活動の多くのものに就て戦争と云ふことが考へられてゐた。総力戦的思想と訓錬とに徹底してゐた我が国は、此の点で同様の状態にあつた独逸と共に、個人主義的自由主義的と看做され、戦争準備に於て立ち遅れの気味があつた連合国側に最終の勝利を譲らなければならなかつた。
これ深き反省を要求する事実である。〈三三九~三四一ページ〉【以下、次回】
近年、「第二の敗戦」、「敗北の三十年」といった言葉をよく耳にするが、その原因を考えると、結局、政財官界の道徳的腐敗と無責任にゆきつくのかもしれない。
この文章が掲載された「大学新聞」は、一九二〇年(大正九)創刊の「帝国大学新聞」の後身である。一九四四年(昭和一九)、「京都帝国大学新聞」と合併して、「大学新聞」と改題。一九四六年(昭和二一)四月、「学園新聞」を分離して、「帝国大学新聞」に戻す。一九四七年(昭和二二)一〇月に「東京大学新聞」と改題するが、一九四八年(昭和二三)一〇月に休刊。なお、「学園新聞」は、一九五九年(昭和三四)に「京都大学新聞」と改題して、現在にいたっている(ウィキペディア「東京大学新聞社」、「京都大学新聞社」を参照した)。