◎刀江書院の『郷土教育』は方言をのせない
『方言と土俗』の第三巻第七号(一九三二年一一月)から、「方言雑誌合評会」という記事を紹介している。本日は、その二回目。
文中、太字は、雑誌名または書名をあらわす(原文では、傍線)。
B「本山〔桂川〕さんや桂〔又三郎〕さんも、よく複刻をしますね」
A「千葉県郡別方言集とか岡山県方言集とか、あゝいふのは善いよ。何しろ、郡誌は部厚〈ブアツ〉なものが多いから、借りて見るにしても、送料が大変だ」
E「本山さんは編輯物が得意らしい」
D「長崎方言は、もう、種切れだらう」
B「用言篇は、まだ、出ません」
C「体言篇があまりに大き過ぎたから‥‥‥‥」
D「標準語と同じものまで入れたから、あん大きなものになツたのだ」
A「桂さんに岡山市の方言集のないのは不思議だ」
B「島村〔知章〕さんがやツてゐました」
C「島村さんが死んでから、桂さん、元気がなくなつた様だ」
D「中国民俗研究を創刊した頃はかなり油がのツて居た様だが‥‥‥‥」
A「あまり、消極的だからいけない。雑誌そのものはいゝけれど‥‥‥‥」。
E「商売気〈ショウバイギ〉が無いんだね」
D「その癖、古本屋だよ」
E「商人といふがらではない」
C「飯尾〔哲爾〕さんは中々うまくやツてる。土のいろはもう十年近くなるだらう」
D「しかし、方言をのせる様になつたのは去年からだよ」
E「時々、方言の特輯号を発行する」
C「飯尾さんは何も書かないね」
A「佐々木清治〈キヨジ〉さんと、宇波耕策さんとで持ツてる様なものだ」
D「二人とも分布調査がお得意らしい。佐々木さんは単語の、宇波さんは音韻語法の‥‥‥‥」。
B「佐々木さんは地理学者です」
A「一体、方言地理は、半分は、地理学の領分だよ。しかし、地理学者は、ここに気が附かない様だね」
E「刀江書院の郷土教育が方言をのせないのは不思議だ。あそこは言語誌叢刊の発行所のくせに」
D「土のいろで遠州方言集を出してくれるといゝ。一と通りの方言集さへ無いくせに、分布調査など木末顛倒だ」
B「方言と国文学はどうです」
D「方言と国文学と相備長屋の感がある」
C「題が悪い。方言と国語とすればよかつた」
D「山下〔邦雄〕さんの興味は方言にある事は確かだ」
E「薩摩狂句の評釈などばかりやツてる」
C「本格的研究を発表するには準備が足りなかつたのだらう」
B「郷里を離れて居るから、研究には萬事、不便でせう」【以下、次回】
文中、Aの発言に、宇波耕策という名前が出てくる。インターネット情報によれば、長野県の飯田中学校(旧制)の教師だったようだ。
弁護士の正木ひろしは、かつて、長野県の飯田中学校に英語教師として赴任したことがある。インターネット上で読める『小説 正木ひろし』によると、そのとき同校には、すでに、宇波耕策という国語教師が在職していた。正木は、宇波の人となりを観察し、また、その授業も参観して、「彼あっての飯田中だ」という感じたとある。
また、Dの発言に、「相備長屋」という言葉が出てくる。読み、意味ともに不明である。博雅の御教示を乞う。