◎『独学の冒険』に対する尾崎光弘さんの書評
数日前、敬愛する尾崎光弘さんから、拙著『独学の冒険』(批評社、二〇一五年月)に対する書評をいただいた。正確に言えば、拙著刊行当時に尾崎さんが書かれた書評について、ほんの数日前、当ブログに転載させていただくお許しを得た。
というわけで、本日は、この書評を紹介したいと思う。タイトルはなし。
そういえば自分も『独学』者の一人かもしれないと思い、自分に足りないのは何かを探そうと一読。三つ発見。①学問研究の動機の切実さ、②思考の柔軟さ、③アクション力。どれも欠如していた半端な「独学」者は簡単に粉碎され、一瞬、もうやめてしまおうかと思ったほどです。特に①を反省することが切実でした。たとえば、喜寿にして初めて本を出した郷土史家・清水文弥。土俗学者・中山太郎の私情に込められた「学者魂」。さらに「ふだん記」運動の異色の思想家・橋本義夫の、「人間には書かねばならないことがある」という歴史的使命感からくる言葉。三人の衝撃は大きかった。まとめていえば、学問研究への執念。
私にもまだ首の皮一枚の執念が残っていると見えて再読は必然でした。そうすると、これまで愛読してきた柳田国男をはじめとする大独学者たちの、だれかれにも、こちらが畏怖するほどの執念が底流していることが見えてきました。みずからを「資料収集家」と称する佐々木喜善にさえ韜晦する執念を、です。
本書は、いかにも入門風を装った「独学の冒険」ですが、この冒険には「執念」あるいは「気迫」が必然だったこと、しかもそれは個々の時代を生きる歴史的な実存から生まれ養われるものだと学ぶことができました。「執念」は時代を生きる思想だったのです。いってみれば、「独学者魂の研究」の一書。
私のような半端な独学者は意外にたくさん潜伏している気がしますが、本書は独学志望者を含めて我々への朗報です。いつかは役に立つであろうと捨てないでおいた、『日本人の自伝』全25巻。埃をかぶった姿がにわかに輝いて見えてきました。