礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

1980年代後半、富の移転が起きた

2024-12-01 01:24:51 | コラムと名言
◎1980年代後半、富の移転が起きた

 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその七回目。
 本日は、第二部「日本の悲劇的使命」第二章「バブルの真犯人」から、その一部を引いてみよう。

 日本で金融財政ニュースを新聞で定期的に伝えるためには、同省の記者クラブに加盟しないと不可能だ。公式発表の主旨からあまり外れたことを書きつづけると、いずれメンバーでいられなくなる。高官たちはすぐれた分析記事の書き手や影響力をもちそうな記者をつきとめ、当局の線に沿った記事を書くという了解のもとに「内部」情報を流す。この結果、『日本経済新聞』は「バブル経済」を演出した高級官僚専属の広報紙の役割を担うことになった。日本の経済評論家や大学の経済学者は、ほとんど日経というアンプに接統されたスピーカーといえるだろう。彼らの大半の者はおそらくそれ以上のことは知らないと思う。なかには、偽りのリアリティについてよく知っている者もいるが、もし彼らが私がこの本で公にしている種類の分析を堂々と発表すれば、まっとうな機関で仕事を続けられなくなるだろう。
 日本で大蔵省の役人が権力を握りつづけていられるのは、彼らがほかのだれよりも情報を握っているからだ。彼らは重要情報を独占しており、そうした情報がないかぎり政治家が官僚をコントロールすることなどできない。大蔵官僚は、どの大銀行が事実上倒産同然の経営状態にあるか、といった情報を握っている。こうした企業は、独立の公認会計士に監査させれば、とうの昔に存在しなくなって当然だったはずだ。
 大蔵官僚のおかげで、平成ブームと呼ばれた、世界史に前例のない、メーカーによる大規模な設備投資が可能になった。だが日本の市民には高くついた。コストのかからない資金がどこからともなく降ってわいてくることなど、ありえないことだ。
 結局、日本の主要企業の投資資金は、保険会社や信託銀行を経由して株式市場に流入した家計部門の貯蓄によって賄われた。企業の手もとには投資された資産が残ったが、官僚がパルーンの空気を抜くことに決めて市場が崩壊した今となっては、家計部門と金融機関からは何兆円もが消えて失くなった。つまり、一九八〇年代後半に起きたことは、家計部門から産業部門への一挙に加速された富の移転にすぎないのだ。〈203~204ページ〉

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