礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト108(23・12・31)

2024-12-31 00:01:56 | コラムと名言
◎礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト108(23・12・31)

 2024年も大晦日を迎えた。除夜の鐘にちなみ、礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト「108」を紹介する。
 順位は、2024年12月31日現在。なおこれは、あくまでも、アクセスが多かった日の順位であって、アクセスが多かったコラムの順位ではない。

1位 16年2月24日 緒方国務相暗殺未遂事件、皇居に空襲
2位 15年10月30日 ディミトロフ、ゲッベルスを訊問する(1933)
3位 19年8月15日 すべての責任を東條にしょっかぶせるがよい(東久邇宮)
4位 24年11月20日 佛、魔、塔などは、新たに作った文字
5位 16年2月25日 鈴木貫太郎を救った夫人の「霊気術止血法」
6位 18年9月29日 邪教とあらば邪教で差支へない(佐藤義亮)
7位 24年11月21日 鉢は、梵語パトラー(Patra)の音写
8位 16年12月31日 読んでいただきたかったコラム(2016年後半)
9位 23年12月14日 大江健三郎氏は「一本調子」がかなり改まっている
10位 24年8月17日 礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト50(24・8・17)

11位 14年7月18日 古事記真福寺本の上巻は四十四丁  
12位 24年7月3日 その一瞬、全身の毛穴がそそけ立った(山田風太郎)
13位 21年8月12日 国内ニ動乱等ノ起ル心配アリトモ……(木戸幸一)
14位 21年6月7日 山谷の木賃宿で杉森政之介を検挙
15位 24年7月4日 「おばさん、日本は負けたんだ」山田風太郎
16位 18年8月19日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その5
17位 17年4月15日 吉本隆明は独創的にして偉大な思想家なのか
18位 21年3月4日 堀真清さんの『二・二六事件を読み直す』を読んだ
19位 18年1月2日 坂口安吾、犬と闘って重傷を負う
20位 19年8月16日 礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト30(19・8・16)

21位 24年8月19日 陛下のために弁護をする余地すらない(近衛文麿)
22位 18年8月6日 桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その5
23位 22年12月30日 読んでいただきたかったコラム10(2022年後半)
24位 24年8月15日 御座所にはRCAのポータブルラジオが……
25位 17年8月15日 大事をとり別に非常用スタヂオを準備する
26位 23年3月9日 松蔭を斬り、雲濱を葬りたる幕府当局を想起す(愛国法曹連盟)
27位 23年12月12日 かうした地方を私は一型アクセントの地方といふ
28位 18年8月11日 田道間守、常世国に使いして橘を求む
29位 24年9月14日 A・フジモリ元大統領の訃報
30位 22年8月2日 朝日平吾は昭和テロリズムの先駆か

31位 24年8月18日 近衛文麿公は、独り晩秋の軽井沢に赴いた
32位 22年12月20日 「開帳は夜ふけに限る」と敬道師はいった
33位 17年1月1日 陰極まれば陽を生ずという(徳富蘇峰)
34位 24年6月19日 国難ここに見る、弘安四年夏の頃
35位 22年6月22日 大正期における大阪の田楽屋と「おでん」について
36位 2022/12/31 礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト108(22・12・31)
37位 17年8月6日 殻を失ったサザエは、その中味も死ぬ(東条英機)
38位 24年8月22日 この戦争は負けだね(阿部謹也の祖母)
39位 22年9月20日 太田光氏の「まともな感覚」に期待する
40位 24年2月16日 宮城長五郎「思想に関する事件の思ひ出」

41位 24年9月13日 書中の迷信的記事には註解を施さなかった
42位 22年10月6日 家々に代々伝へて来るのが「モタル」であります
43位 22年9月22日 坊さんには生活の苦労を知らぬ人が多い(山田孝雄)
44位 24年7月2日 ラジオが正午重大発表があるという(高見順日記)
45位 23年1月12日 加藤寛治軍令部長の上奏をめぐる問題
46位 17年8月13日 国家を救うの道は、ただこれしかない
47位 22年10月5日 安倍元首相は、「非業の死」を予期していたのか
48位 24年8月9日 御一新このかた一も欧米、二も欧米で
49位 24年8月14日 これより謹みて、玉音をお送り申します
50位 19年8月18日 速やかに和平を講ずる以外に途はない(高松宮宣仁親王)

51位 24年4月25日 大月康弘さんの『ヨーロッパ史』を読んだ
52位 24年8月20日 近衛文麿の〝矜恃〟が屈辱よりも死を選ばせた
53位 21年8月14日 詔勅案は鈴木首相が奉呈して允裁を得た
54位 23年11月14日 名古屋城のシャチホコから金をはがした金助
55位 21年3月5日 ある予審判事が体験した二・二六事件
56位 22年8月17日 帝国憲法の条規中、絶対的に変更すべからざるもの
57位 24年8月28日 事件の舞台は、那珂郡長倉村の蒼泉寺
58位 22年12月19日 藤嶽敬道師は、いくら失敗しても絶対にくたばらない
59位 22年9月21日 君たちは学問がありすぎて常識を働かさない
60位 19年4月24日 浅野総一郎と渋沢栄一、瓦斯局の払下げをめぐって激論

61位 15年10月31日 ゲッベルス宣伝相とディートリヒ新聞長官
62位 22年7月13日 伊藤博文の出自は、百姓もしくは軽輩
63位 23年11月16日 当分は芝居などを書かうとは思ふまい(岡本綺堂)
64位 20年2月24日 悪い奴等を葬るのが改革の早道だ(栗原安秀中尉)
65位 23年12月27日 『アラビアのロレンス』これで見納め(青木茂雄)
66位 24年8月16日 涙が熄むと、死からの解放感が浮かび上がった
67位 18年10月4日 「国民古典全書」は第一巻しか出なかった
68位 20年2月26日 日本間にある総理の写真を持ってきてくれ(栗原安秀中尉)
69位 22年10月7日 「梅尾」と書いて、昔から「トガノヲ」と読む
70位 23年12月8日 8隻の敵艦隊からの砲撃で177名が死亡

71位 24年3月13日 陛下を軍艦比叡に迎へ奉り……(井上成美)
72位 22年9月13日 アウグストゥスは「現に生ける神なる皇帝」を意味した
73位 15年2月25日 映画『虎の尾を踏む男達』(1945)と東京裁判
74位 19年1月1日 もちごめ粥でも炊いて年を迎えようと思った(高田保馬)
75位 18年5月15日 鈴木治『白村江』新装版(1995)の解説を読む
76位 19年2月26日 方言分布上注意すべき知多半島
77位 24年3月14日 皇道派は「対蘇抗戦派」、統制派は「大陸経営派」
78位 22年12月16日 丸山先生が委員会で八月革命という表現を使われ……
79位 19年8月17日 後継内閣は宮様以外に人なき事(木戸幸一)
80位 23年12月28日 『アラビアのロレンス』これで見納め(その2)

81位 22年12月21日 この通り、御開山のお姿が刻みこんであります
82位 22年8月12日 同一の措辞は原則として同一の意義を有する
83位 22年12月17日 敬道師は堂々と「節談説教」を開始した
84位 24年4月24日 象徴天皇も国家たる法人の機関である(成宮嘉造)
85位 22年7月15日 憲法改正にともなう「國體」の変革はなかった(美濃部達吉)
86位 24年8月30日 映画『首』に登場するバスは代用燃料車
87位 20年2月9日 失敗したときは、これをお使いください(小坂慶助)
88位 22年12月18日 真宗の門徒たちは若い説教者をいじめぬく
89位 24年9月12日 二人の景教僧はエルサレムに向って支那を発った
90位 18年8月7日 桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その6

91位 23年1月3日 明治29年7月、京都新町便利堂の借宅にて
92位 2022/12/13 ポツダム宣言の受諾は旧憲法を覆した革命的行為(美濃部達吉)
93位 24年8月4日 箕作麟祥の一代記を簡単にお話し申しませう
94位 23年10月27日 磯部浅一、真崎大将と予審廷で対決
95位 24年7月9日 やっぱり負けたらしい(田辺聖子)
96位 21年8月11日 鈴木首相も平沼枢相の意見に賛成したる様子(東郷茂徳)
97位 2022/08/19 立憲政治は議会を設けて立法に参与せしむることを要件とする
98位 22年12月25日 小沢さんは柄笊を持って、お布施を集めてまわりました
99位 23年1月1日 精神的に亡びた国は、その形骸までも失う(内村鑑三)
100位 23年1月19日 石原廣一郎は神武会の極右的傾向を嫌厭

101位 24年9月1日 首だけ持ってくればいいじゃないか(西成甫教授)
102位 23年1月19日 「大いに不穏当なり」奈良武次侍従武官長
103位 20年5月11日 靖国神社ハ戒厳司令部ニ対シ制高ノ位置ニアリ
104位 24年8月2日 北海道の北半分はソ連が占領したい(スターリン)
105位 24年7月22日 起とう、やり直すのだ(大佛次郎)
106位 24年7月31日 明日からソ連は日本と交戦関係に入る(モロトフ)
107位 20年7月11日 8月15日以来、別な国家が生成しつゝあるといふ認識
108位 2024/06/29 礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト25(24・6・21)

*このブログの人気記事 2024・12・31(8・9・10位に極めて珍しいものが入っています)
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  • 読んでいただきたかったコラム10(2024年後...
  • 鵯は、ヒエドリが後にヒヨドリと変化
  • 女流小説家にして男まさりの大和心を持つてゐる
  • 荒海がアルミ、国内がクヌチ、我が妹がワギモになる
  • 紫式部は理論的かつ創作的天才(島津久基)
  • デアルがヂャとなり、行キアレが行キャレとなる
  • 大正初期における庶民の「見合い」
  • 征服アメリカ軍将官の態度を知りたい(吉川英治)
  • 藤田嗣治は絵を描いてアメリカ将官を満足させた



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礫川ブログへのアクセス・歴代ワースト60(24・12・30)

2024-12-30 00:19:15 | コラムと名言
◎礫川ブログへのアクセス・歴代ワースト60(24・12・30)

 本日は、当ブログへのアクセス・歴代ワースト60を紹介する。
 順位は、2024年12月30日現在。これは、あくまでも、アクセスが少なかった日の順位であって、アクセスが少なかったコラムの順位ではない。なお、ブログ開設当初のデータがほとんど残っていないので、正確な順位というわけではない。

1位 2023年12月4日 ここの調査は君一人でやってくれないか(平山輝男)
2位 2024年10月4日 空海の師・般若法師は、景教僧・景浄の友人
3位 2024年11月9日 罵倒するのでなく正説を示していただきたい
4位 2024年4月22日 少数の白色人種の国際支配は困る(松井石根)
5位 2023年8月31日 枢密院本会を休会し陛下の録音放送を拝聴した
6位 2024年5月17日 天皇機関説を倒閣運動の具にした政友会
7位 2023年12月3日 橋本進吉博士の薦めに従い國學院大學で国語学を専攻
8位 2024年9月7日 胸中の血は老いてなほ冷えぬ(高田保馬)
9位 2024年6月2日 長官狙撃事件への関与を主張していた中村泰受刑者の死亡
10位 2024年2月6日 【この日、記事の更新なし】

11位 2024年11月12日 一方では日本語として、一方では漢語として
12位 2024年5月20日 OCRソフトで表示された漢字(2024/05/20)
13位 2023年7月1日 日本の社会は情をもって成り立つ(内村鑑三)
14位 2024年6月15日 戦いは百合若の強弓によって決した
15位 2020年9月26日 【この日、記事の更新なし】
16位 2024年1月12日 OCRソフトで表示された漢字(2024/01/12)
17位 2023年7月2日 日露戦争より余が受けし利益(内村鑑三)
18位 2023年12月1日 平山輝男博士とアクセント分布の研究
19位 2023年6月13日 日本人は暇つぶしの娯楽に耽っている(M・W・ヴォーン)
20位 2023年9月1日 九月一日忘られず(大正震災かるた)

21位 2024年9月10日 礫川ブログへのアクセス・歴代ワースト30(2024/09/10)
22位 2024年3月22日 『民法典との訣別』では、検索結果0件
23位 2024年10月5日 詩人の蘇東坡に「大秦寺」と題せる詩がある
24位 2024年12月22日 橋本進吉「国語の音節構造と母音の特性」を読む 
25位 2023年11月28日 朝夕の往復だけで7~8時間を要した
26位 2017年12月23日 成功の秘訣は万人に率先して実行すること
27位 2024年5月29日 関根門下の双璧、木村義雄と根岸勇
28位 2024年6月11日 林は腰を抜かし川島という無能者に陸相を譲った
29位 2024年7月1日 大佛次郎「英霊に詫びる」(1945/08/22)
30位 2024年6月16日 漁師が百合若を見つけ筑紫へ連れ帰った

31位 2024年12月21日 片岡良一、菊池寛の「恩讐の彼方に」を語る
32位 2024年5月1日 神泉苑の池には神龍が棲んでいる
33位 2024年4月18日 西園寺公望、シュタインから国家有機体説を学ぶ
34位 2024年11月26日 福沢は、眼あって触手なきインテリ  
35位 2024年6月29日 北一輝が真崎内閣を待望したのはなぜか
36位 2015年8月17日 大谷美隆「ナチス憲法の特質」(1941)を読む
37位 2015年8月11日 総統、あなたはアーリア系ですか(1945・4・29)
38位 2024年4月17日 天皇は国家の元首云々は即ち機関なり(昭和天皇)
39位 2016年6月16日 日本人は血縁が等しい大家族民族(古畑種基)
40位 2016年6月19日 我国都市における防空上の二大弱点

41位 2024年4月19日 機関説を悪いと断言する必要はない(渡辺錠太郎)
42位 2024年4月21日 但し憲法の担当はできなかった(成宮嘉造)
43位 2024年5月19日 OCRソフトで表示された漢字(2024/05/19)
44位 2024年4月20日 礫川ブログへのアクセス・歴代ワースト40(2024/04/20)
45位 2024年11月10日 ハムラビ時代、Salmeという女性神官の階級があった
46位 2024年10月19日 鍵は、オベリスクにある王と王妃の名前
47位 2024年12月16日 五反野駅で萩原詮秋駅員に末広旅館を教えられた 
48位 2014年8月15日 煩を厭ひてすべてはしるさず(滝沢馬琴)
49位 2024年12月9日 「シカタガナイ」は努力で克服できる
50位 2024年5月7日 予ノ國體論ハ今ハ孤城落日ノ歎アルナリ(穂積八束)

51位 2015年1月8日 伊藤昭久さん、田村治芳さん、松岡正剛さん
52位 2015年12月25日 大佛次郎『ドレフュス事件』は、なぜ龍頭蛇尾なのか
53位 2024年12月10日 木炭自動車の構造早わかり(少国民年鑑)
54位 2016年6月23日 生長の家、安倍晋三首相の政治姿勢を批判
55位 2015年9月7日 松川事件、現場に停車した一台のトラック
56位 2015年12月23日 ドレフュス事件とデュ・パチイ・ドゥ・クラン少佐
57位 2015年8月1日 ケルロイター教授、美濃部達吉博士を危険視
58位 2016年6月22日 『日本会議の研究』をめぐる「騒動」
59位 2024年9月8日 高田保馬、教職不適格者指定を受ける(1946)
60位 2016年1月21日 結婚奨励のスローガンは「結婚報国」

*このブログの人気記事 2024・12・30(9位になぜかボタ餅、8・10位は、ともに読んでいただきたかった記事)
  • 読んでいただきたかったコラム10(2024年後...
  • 女流小説家にして男まさりの大和心を持つてゐる
  • 唯一の例外は、万葉集巻十八の「也末古衣野由支」
  • デアルがヂャとなり、行キアレが行キャレとなる
  • 紫式部は理論的かつ創作的天才(島津久基)
  • 荒海がアルミ、国内がクヌチ、我が妹がワギモになる
  • 鵯は、ヒエドリが後にヒヨドリと変化
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  • 見合いの席に「ボタ餅」が出たときは注意
  • 「一マイル競走」の原作者はレスリー・M・カークで...



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読んでいただきたかったコラム10(2024年後半) 

2024-12-29 00:36:52 | コラムと名言
◎読んでいただきたかったコラム10(2024年後半)  

 二〇二四年も、そろそろ、その前半を終えようとしている。
 恒例により、二〇二四年前半(七月~十二月)に書いたコラムのうち、読んでいただきたかったコラムを、一〇本、挙げてみたい。おおむね、読んでいただきたい順番に並んでいる。

1) 大佛次郎「英霊に詫びる」1945・8・21   7月1日

2) 民衆の恥知らずなしぶとさ、したたかさ、狡智   7月15日

3) 御座所にはRCAのポータブルラジオが……    8月15日

4) 首だけ持ってくればいいじゃないか(西成甫教授) 9月1日

5) 日本の女性は、いまや世界一晩婚だ       11月27日

6) キリスト教はローマ法によって作られた宗教   10月9日

7) 罵倒するのでなく正説を示していただきたい   11月9日

8) 志賀直哉「清兵衛と瓢箪」の読み方       12月18日

9) 1980年代後半、富の移転が起きた      12月1日

10) 胸中の血は老いてなほ冷えぬ(高田保馬)     9月7日
   
次点 日本語コレバカリダとバスク語kori bakarrik da  9月25日

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  • 唯一の例外は、万葉集巻十八の「也末古衣野由支」
  • 荒海がアルミ、国内がクヌチ、我が妹がワギモになる
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女流小説家にして男まさりの大和心を持つてゐる

2024-12-28 03:04:39 | コラムと名言
◎女流小説家にして男まさりの大和心を持つてゐる

『昭和十六年十一月 日本諸学振興委員会研究報告 第十二篇(国語国文学)』(教学局、1942年1月)から、島津久基の講演「紫式部の芸術を憶ふ」を紹介している。
 本日は、その二回目(最後)。298ページ1行目から307ページ13行目までを割愛し、講演の最後の部分、すなわち307ページ14行目から309ページまでを紹介する。

 最後に私は又別の角度から観た一事を申上げて見たいと思ひます。源氏物語の中で、冷泉院〈レイゼイイン〉の御代〈ミヨ〉に前斎宮〈ゼンサイグウ〉の梅壺の女御〈ニョウゴ〉が中宮〈チュウグウ〉にお立ちになるところがあります。その巻――少女の巻に
  源氏のうちしきりに后に居給はむこと、世の人ゆるし聞えず、弘徽殿の先づ先に参りし給ひしにも如何など、うちうちに此方彼方に心寄せ聞ゆる人々覚束ながり聞ゆ
とありまして、藤原氏の権勢に諂る〈オモネル〉世人が不満であつたと書いてあるのであります。弘徽殿〈コキデン〉女御は即ち藤原氏の女、そして梅壺は先の皇太子の妃六条御息所〈ミヤスドコロ〉の御腹〈オハラ〉で、尊き御血統なのであります。又これより前の桐壺帝の御代には藤壺女御が同じく藤氏〈トウシ〉の弘徽殿女御を超えて、中宮に御立ちになります。これは先帝の第四皇女にましますのであります。それから冷泉院の次の御代には明石姫〈アカシノヒメ〉即ち桐壺女御が藤氏を圧して中宮になつて居られます。これは光源氏の姫でやはり皇胤でいらつしやる。即ち源氏物語の中で中宮にお立ちになるのは御三方でありますが、それがいづれも皇室の御系統で、藤原氏から皇后や中宮に立たれる記事は源氏物語には一回も無いのであります。朱雀院〈スザクイン〉の御母女御弘徽殿が朱雀院御即位の後、皇太后になられたのは当然で、それ以外はじめから中宮に立たれた藤氏は一人も書かれないのであります。こゝです、私の申したいのは‥‥‥‥‥‥。望月の欠けたることもなしと言つたあの御堂関白〈ミドウカンパク〉の時代、正に藤原氏の全盛時代、さうして事実に於いては藤原氏の皇后や中宮が立つておいでになる其の御代に、仮令〈タトイ〉物前小説であらうとも、斯う云ふ風に藤原氏の人が立たれずに、皇室系統の方々だけが中宮にお立ちになるやうに敢然と書いたのは実に考へさせられるのであります。なかなか尋常では出来ぬことであると思ひます。これは古人では近藤芳樹〈コンドウ・ヨシキ〉といふ学者に既に着目されてゐる所でありますが、私の特に申したいのは、あの時代、而も藤氏の圧倒的勢力を代表した御堂関白の権栄の下にあつて、其の御堂関白の御女〈オンムスメ〉に当られる上東門院〈ジョウトウモンイン〉にお宮仕〈ミヤヅカエ〉をして居る一女性紫式部が、斯うした皇室絶対尊重の筆を執つて居ると云ふこと、是はなかなかの勇気と信念が無ければ出来ることではありませぬ。真の勇気ある人間でなければ出来ませぬ。真の尊皇者でなければ出来ませぬ。清少納言が漢学の知識をひけらかして、男をやつつけて痛快がるのとは天地の懸隔であります。此の意味に於ける限り、紫式部はたゞに才媛であるのみでなく、立派な忠臣であり、女性英雄であります。此の信念と此の勇気。権門に屈せず恐れず、自分の皇室絶対尊重の主義を敢然として小説に書いて居る。而もそれは御堂関白も、藤原氏の一門も読んだに違ひありませぬが、面白いからそれに気が附かなかつたのでせうか。そこが又芸術天才としての紫式部の手腕でもあると言へませう。此の信念と此の勇気とがあればこそ五十四帖の宇宙不朽の大芸術を成し遂げたのである。やはり雄々しい大和心の持主でありました。而も表面はあくまでもしとやかな柔和なつゝましい女性として終始した所に日本婦人の典型を見出すのであります。元来平安時代は貴族時代と言はれて居りますが、皇室中心主義の時代である点では、江戸時代の平民文学などとは較べ物にならぬことは御承知の通りであります。皇室の尊貴を心から畏み〈カシコミ〉、大宮に仕へ奉る有難さを感激して居た時代であります。世に男女の物語を取扱つた単なる女流小説家として目せられがちな紫式部にして、なほ且つ此の男まさりの尊い大和心を持つてゐることは怪しむを要せぬと同時に、我等の意を強うせしむるに足るのであります。我等は決して単に古い斯ういふ国文学の佳品に満足して居て宜いと申すのではありませぬ。我等の祖先の此の偉大なる芸術に訓へられ感奮〈カンプン〉せしめられて、神の国日本、武の国日本と共に文の国日本をしても、こゝに新しく世界に宣揚せしめなければならない為に、国民が努力すべきことを、より高き、より傑れた芸術の生れ出ることを、祈るや切であり、其の為に一千年前に斯うした誇を持つ我が国であると云ふことの確信を一層強めたいが故に、思ひを遠き昔の祖先芸術家の上に馳せ〈ハセ〉て、その天才芸術を偲ばうとするのであります。
 終りに臨みまして、明月記の京極中納言定家卿が源氏物語に対して讃した「之を仰げば弥〻〈イヨイヨ〉高く、之を鑽れば〈キレバ〉弥〻堅し」と云ふ古言をそのまゝ、そしてそれに最後に私のした意味の希望念願を籠めて、茲に私の結びの言葉として紫式部の芸術に捧げたいと思ふのであります。〈307~309ページ〉

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紫式部は理論的かつ創作的天才(島津久基)

2024-12-27 01:44:21 | コラムと名言
◎紫式部は理論的かつ創作的天才(島津久基)

『昭和十六年十一月 日本諸学振興委員会研究報告 第十二篇(国語国文学)』(教学局、1942年1月)の紹介を続ける。
 同報告書の末尾には、「公開講演会」における講演の紹介が載っている。順に、五十嵐力(いがらし・ちから)の「文学の味ひ方いろいろ」、島津久基(しまづ・ひさもと)の「紫式部の芸術を憶ふ」、吉沢義則(よしざわ・よしのり)の「古人を尊重せよ」の三本である。
 今回は、このうち、島津久基の「紫式部の芸術を憶ふ」を紹介してみたい。ただし、全文の紹介は断念し、最初の部分と最後の部分を紹介することにしたい。

     紫 式 部 の 芸 術 を 憶 ふ
           文学博士 島 津 久 基

 忝くも〈カタジケナクモ〉順徳上皇の御記〈ギョキ〉に、
  源氏物語は不可説のものなり、更に俗人の所為に非ず、紫式部之を書く、誠に諸道諸芸皆此の一篇に縮る。不可説、未曽有なり。
  〔源氏物語不可説物也。更非俗人之所為。紫式部書之。諸道諸芸皆縮此一篇。不可説未曽有也。(中略)〕
 又其の下の方に、
  人間の所為に非ず、不可説の事なり。
  〔非人間所為。不可説事也云々。〕 
 斯様に〈カヨウニ〉仰せられてあります。不可説と申しますと、よい意味にも、悪い意味にも使はれて居りますが、上皇の御言葉から拝察致しますと、人間の所為ではない、説くべからざるものであると仰せられてあるのでありますから、批評を絶した神品であると宣はせ〈ノタマワセ〉られてあると畏れ〈オソレ〉ながら拝察し奉るのであります。紫式部は定めて地下に感泣致して居ることであらうと私は存ずるのであります。
 今や源氏物語が宇宙最初の大小説として世界の文芸史上に文化日本の誇らしい業績を輝かして居りまする事実についての世界的の認識も着々と拡大しつゝあるやうに存じます。近くは盟邦イタリアの先の大使アウリツチ氏が夕顔巻の翻訳を帰国の手土産にされたと云ふ報道が新聞紙を賑はしたのも耳新しいことであります。又中華民国の碩学、さうして先頃来朝されました周作人〈シュウサクジン〉・銭稲孫〈セン・トウソン〉の諸大家が此の日本の古典文学の輪講を試みて、偉大なる日本の作者に尊崇の念を捧げられつゝあると云ふことも親しく我々の聴き得た所であります。
 順徳上皇の御賞美ばかりでごさいませぬ。皆さん御存じの通り「大和唐土〈モロコシ〉古へ〈イニシエ〉今ゆく先にもたぐふべき書〈フミ〉はあらじとぞ覚ゆる」と申されたのは「玉の小櫛〈タマノオグシ〉」の鈴屋〈スズノヤ〉の大人〈ウシ〉でありました。又「唐土にさへ比べ挙ぐべきはいと稀なるべし」とたゝへたのは「ぬば玉の巻」の上田秋成であります。支那にさへ比べ物のないものである。源氏物語は比ひ〈タグイ〉なき上手の筆である。斯様にあの毒舌家の秋成をしてすら言はせて居るのであります。事改めてこゝで源氏物語の説明を諄々〈クドクド〉しくは申しませぬ。又後世の日本の文芸に与へました感化は如何に深く、如何に大きいか、それも詳しく述べたてるには及ぶまいと存じます。中世の物語は申す迄もなく、軍記物も、和歌も、謡曲も亦近世の西鶴も、近松も、秋成も、芭蕉すらも、又明治の尾崎紅葉、樋口一葉に至る迄皆それぞれ其の流れを汲んで居るのであります。近松の如きは浄瑠璃の死んだ人形に息――魂を入れると云ふ其の神技の骨法を源氏物語から学び得たと言はれて居ります。はつきり源氏物語とは書いてはありませぬけれども、近松が自分の作品の中に矢張りその末摘花〈スエツムハナ〉巻の問題の一節を使つて居りますから、其の言葉が偽りでないと云ふことが想像され得るのであります。
 誠に源氏物語の作者は多才な人であつたと私は考へます。桐壺〈キリツボ〉巻の抒情詩篇が書けて、さうして又帚木〈ハハキギ〉の巻に於ける品定めの評論的小説も書ける人である。夕顔の巻の傑れた妖怪描写の筆を持つて居て、且つ又末摘花のやうなユーモア小説も書ける人である。文芸理論をしかと意識的に把握して居て、さうしてそれを事実の上の創作の世界に於いて示し得て居る驚くべき天才であると申して宜いものと思ひます。理論家と申すものは兎角〈トカク〉創作は下手でありますが、紫式部の場合は言挙げせぬ、日本の国の中に於いて理論もしつかりと摑んでゐて、その上にそれを作品の上に具現して居る、日本的な、驚くべき理論的且つ創作的天才であると思ふのであります。まことに見渡しまして全世界の各国で此の時代に、源氏物語の書かれました時代に、否其の後幾百年もの間にも、源氏に肩を竝べるやうなものを作り出した国があるか、民族があるか、斯う考へましただけでも私共のは躍るのであります。世を挙げて男子の文人達が漢詩、漢文に力を競うたあの時勢に、彼等に負けない漢才を持つて居る上に、男の人達と肩を竝べ得るやうな漢学の才を持つて居る上に、更にやまと言葉を以て、仮名を用ひてやまと文を綴つて、即ち国語、国字を以て国文の創作を敢行して而も其の完璧を為し遂げた其の自覚と信念と力行とは、流石に大和心、大和魂といふことばを意識して用ひて居た当代女流才媛の功勲であります。況んや其の成果が世界各国の文芸をしりへに瞠若〈ドウジャク〉たらしめる旗じるしを、世界のどの民族よりも真先に勇ましく高く掲げ得たに於いてをやであります。其の紫式部は嬉しくも我等日本人の先輩であり、祖先であつたのであります。
 夕顔の巻のあの驚くべき巧まざる巧み、自然の骨法を得た妖怪描写だけでも、私は世界最初の文芸選手としての日本の栄誉を紫式部は贏ち〈カチ〉得て居るものと存じます。剪燈新話〈セントウシンワ〉の成りましたのは明の時代、我が国では吉野朝廷で、それよりも源氏の成つたのは約四百年も早いのであります。ドイツの妖怪詩人と呼ばれるホフマンは十八世紀から十九世紀の頃の人でありました。又アメリカの怪奇作家エドガア・アラン・ポーは御承知の通り十九世紀の人である。紫式部はそれらの人よりも九百年以前の人であります。我が日本の怪談小説として有名な雨月物語も源氏の夕顔の巻が書かれてから七百五十年後に出来たのであります。其の雨月の刊行されました安永五年〔1776〕と云ふ年がホフマンの生れた年であります。斯う考へますとまるでどうも夢のやうな不思議な心持に私は捉はれるのであります。今日は専門の学者の方々も沢山おいでになります代りに、一般の方々や若い生徒の方々も多数居られるやうに見受けますから、最もわかり易いお話を致します為に、例へば作品の独創的な面白い構想と云ふ点で、外国文芸だけに優先権を与へて置けないと云ふことの手近な例を一つ、二つ申上げて見たいと考へるのであります。これなら比較の材料として一番手つとり早いだらうと思ひます。〈294~297ページ〉

 以上が、講演「紫式部の芸術を憶ふ」の冒頭部分である。このあとの約10ページ分を割愛し、明日は、講演の最後の部分を紹介する。

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