◎家永三郎の「天皇制と日本古典」にみる国家と宗教
年末の片付けで、『法律時報』の一九七六年四月号(48巻4号)が出てきた。特集「天皇制」となっていて、横山晃一郎「天皇制と不敬罪」、森長英三郎「私の事件史のなかの天皇制」など、興味深い論文が掲載されている。
本日は、同誌から、家永三郎のエッセイ「天皇制と日本古典」を紹介してみることにしたい。見開き二ページの短い文章だが、提起している問題は重要であり、また、説得力のある例示がなされている。紹介するのは、その前半部分で、「国家と宗教」という問題を扱っている。
天皇制と日本古典 家永三郎 東京教育大学教授
帝国憲法下で日本の歴史・文化を研究してきた一人としての体験と、戦後になってから知った事実や反省を加えて、敗戦前の天皇制イデオロギーならびに法秩序のはらんでいた矛盾点を随筆風に書いてみることとする。
帝国憲法下の天皇制イデオロギーの本質規定に立ち入る余裕はないが、少なくとも万世一系の皇統の存続が神聖不可侵とされた思想上の根拠は、それが日本古来の尊重すべき伝統とされていたからであり、したがって皇統の存続だけが孤立して尊重されたのではなく、これと不可分の関連をもち「忠孝一本」を基礎づけるとされた「家族制度」や、「尊皇」思想はもちろん、その他もろもろの道徳・文化の伝統(ただし「乱臣賊子」の言動は例外現象として除かれる)が総合的に尊重され、天皇制イデオロギー、当時の用語でいう「国体観念」が「日本主義」「国粋主義」等と呼ばれた日本伝統文化尊重思想に支えられてはじめてその威力を十分に発揮できたことについては、おそらく異論のないところであろう。
ところが、日本の伝統的文化、たとえば定評ある代表的古典だけを見た場合にも、必ずしも天皇制の神聖維持のために好ましいものばかりでなかったのを看過してはならぬ。天皇制の神聖をそこなう外来の反国体思想の表現を抑止するために設けられたのが、新聞紙法・出版法の「皇室の尊厳冒涜」、刑法の「不敬」、治安維持法の「国体変革」等に対する刑事制裁立法ならびに検閲制度であったが、古典の内にはそれらに該当する内容が、一般に想像されるよりもはるかに多かったのである。
『源氏物語』のストーリーの中心には、主人公光源氏と父天皇の配偶者藤壷女御との密通がはずすことのできない事件として設定されている。たといフィクションであっても、日本の天皇が登場するのだから、帝国憲法期の道徳基準からすれば「皇室の尊厳」をそこなうおそれが多い。難解な原文は誰にでも読めるものでないから、原文の公刊は最後まで放置されたが、脚本化して劇として上演したり、全文現代語訳する試みで、禁止された例があるのはそのためであった。
仏教は外来宗教であるが、よく日本化し「鎮護国家」の宗教となったので、「国体」と調和したとされた。日本仏教の大勢はたしかにそのとおりの御用呪術に堕していたが、たとえば鎌倉新仏教の開祖たちの教義には、基本的にも局部的にもそうでないものが多い。親鸞の主著『教行信証』には「出家人の法は、国王に向って礼拝〈ライハイ〉せず、父母〈ブモ〉に向って礼拝せず、うんぬん」という『菩薩戒経』の一節を引用しており、巻末には朝廷の念仏弾圧をはげしく非難した「主上臣下、法に背き義に違し、うんぬん」という痛烈な言葉が記されている。道元は主著『正法眼蔵』のなかで「帝者に親近〈シンゴン〉せず、帝者にみえず」とか「帝者の僧尼を礼拝するとき、僧尼答拝せず」などと、出家者が君主に接近従属するのを禁じている。もともと普遍人類的な真理の体得を追求する仏教では、特定国家の世俗的君主への奉仕を拒むのが当然であって、親鸞や道元のように御用化した南都北嶺の旧仏教から脱却して仏教の原点に復帰した人びとにとり、右に引いたような立言は自明の命題にすぎなかったのである。
天皇制からの自立、その圧迫への抵抗の姿勢を堅持した親鸞・道元と反対に、日蓮は逆に朝廷・幕府を「正法」〈ショウボウ〉に奉仕させ、俗権を宗教の下に置こうとした。日蓮の遺文の随処に「釈迦仏は主なり師なり親なり。天神七代地神五代人王〈ニンノウ〉九十代の神と王とすら、猶〈ナオ〉釈迦仏の所従なり」とか、「仏と申は三界の国主、三界の諸王は皆此の釈迦仏より分ち給て、諸国の総領別領等の主となし給へり」とかの文が散見するのは、そのような立場から出た主張である。天皇制と宗教とを切断することで信教の自由を守ろうとした親鸞・道元よりも、天皇制を宗教に従属させようとした日蓮のほうが、「不敬」の点ではいっそう露骨だったといえるのでなかろうか。
能楽の主題にも皇室を素材としたものが多く、謡曲の詞章や筋の運びには「皇室の尊厳」維持のためには好ましくないものが少なくない。白河院に仕える山科の荘司〈ショウジ〉という「賤しき者」が女御に恋する物語をテーマとした「恋重荷」〈コイノオモニ〉や、延喜の帝〈ミカド〉の第四皇子で逢坂山に捨てられた盲目の僧の悲劇を語る「蝉丸」などがその例にあげられよう。
鎌倉新仏教も、能楽も、『源氏物語』と同様に、日本の文化的遺産として世界に誇るに足るトップレベルに位置するものばかりであったが、天皇制イデオロギーが無謀な戦争に国民をかりたてる武器としてふりまわされた十五年戦争下で、ついに政府は、親鸞・日蓮の著作や謡曲にまで弾圧の手をのばし、真宗・日蓮宗に「聖典」の一部削除や改編を、能楽の家元に特定曲目の上演禁止や謡本の削除改編を命令した。一方で西洋文化を敵性文化として排斥し、日本の国粋尊重を鼓吹しながら、他方で日本の伝統的文化の粋を破壊してはばからぬかような措置は、天皇制イデオロギーの論理的矛盾をはしなくも露呈したものとして、注目に、値いする。真宗・日蓮宗の本山や能楽の家元はいくじなくその命に従ったが、例外ながら日蓮宗の学僧のうちに断乎として宗祖の教義の歪曲を拒み、刑事弾圧を受けても屈しなかった人物の存在する事実は記憶しておかねばなるまい。その詳細が、一九四九年公刊の小笠原日堂著『曼陀羅国神不敬事件の真相―戦時下宗教弾圧受難の血涙記―』に語られていることを紹介しておく。【以下略】
ここ家永が挙げている『曼陀羅国神不敬事件の真相―戦時下宗教弾圧受難の血涙記―』という文献については、すでにこのブログでも、少し紹介したことがある。まだ、紹介を終えたわけではないので、来年もまた、折を見て、その内容を紹介してゆきたい。
ちなみに家永は、一九八〇年に『猿楽能の思想史的考察』(法政大学出版局)という本を上梓している。同書は、前編が「十五年戦争下の能・謡への弾圧」となっていることは、一一月一五日のブログで紹介したことがある。この本の紹介も、来年ということで。
今日の名言 2012・12・31
◎帝者の僧尼を礼拝するとき、僧尼答拝せず
道元の言葉。『正法眼蔵』「三十七品菩提分法」に出てくる言葉。仏教における真理の世界は、世俗の政治権力に優位すると解釈できる。上記コラム参照。
*今年、アクセスが多かったコラム* 今年、アクセス数が多かった日と、その日のコラムを、順に五つ挙げておきます。では、皆様、良いお年を。
1位 7月2日 中山太郎と折口信夫(付・中山太郎『日本巫女史』)
2位 9月20日 柳田國男は内郷村の村落調査にどのような認識で臨んだのか
3位 9月17日 内郷村の村落調査の終了と柳田國男の談話
4位 9月5日 雑誌『汎自動車』と石炭自動車の運転要領
5位 12月19日 盛り上がらなかった第20回衆議院総選挙(1937)