◎拙著『村八分』に御高評をいただいた
齋藤秀三郎『英和中辞典』の「増補新版序」を紹介している途中だが、畏敬する徳永忠雄氏から、拙著『村八分』(河出書房新社)に対し、御高評をいただいたので、本日は、これを紹介させていただきたい。文中、一行アキは、原文のまま。
『村八分』を読んで 徳 永 忠 雄
『村八分』送っていただきありがとうございました。2日にわたりましたが、一気に読ませていただきました。
村八分は、「同調圧力」だけでなく「村の自治」という観点からも見ることができることに納得しました。権力や多数を背景としたこの国の同調圧力は、時代を遡らずとも現代においても未だ顕著です。こう書くと、村八分が封建時代の遺物であるという前提が成立してしまいますが、本書にある通り、いじめなどの現代の社会問題に照らし合わせてみると、歴史性よりも、もともと人間あるいは日本人が秘めている心性ではないかと思えてきます。
まず思い浮かべたのは山本七平の『空気の研究』です。村八分とは直接関係はありませんが、集団の中で異見を述べられない雰囲気を持っている軍部の会議は、もしそこで意見を言おうものなら、そこから排除が始まったに違いないと思われ、それを回避させるべく人はマジョリティに黙って従うしかないと書かれています。
ただ、前提が異質な存在や振る舞いの場合と、火事など村に損害を与えた場合とは、対応が異なるのではないかと思いました。というのも後者の場合は、現代では警察などの介入により法的に処分されるはずでしょうから。
私の住む近隣では、現在でも過去の出来事についていろいろな噂が流れており、その噂によって人々がアンテナを高くし、行動に影響をしている事実があります。たとえば近世末期に起こった殺人事件や火災での住民放逐事件など、かなり前のことまで話題が遡れます。殺人事件では、該当する住民に関しての証言が得られず特定できずとか、火災事件では、放逐された住民が赦されて戻ったとのこともあるようです。これらは、当地の気風らしく、村八分に至らない住民達の穏便さを示すものではないでしょうか。
おそらく住民は、村八分などを敢えて行いたくなかったのではないかと思います。本書の例では、村八分が起こった村の住民は十数人の小規模で、これが多ければより穏便な始末が下された可能性があると思います。処分を下す側も受ける側も、その後のことを考えれば、人間関係でストレスを抱えたくないとの思いはあった気がします。本文にもあるように「かつてのムラ(村落共同体)が、主体性を持った「自治共同体」だったこと」という理解は、結果はどうあれ、村独自に決めることの大きさを物語っています。だから『にっぽん□落』のセエダの盗み取りの例は示唆的です。というのも「村八分は村八分を抑止する」のタイトル通り、村の自治から外れることは何よりもおそろしかった、つまりそれだけ村のコンプライアンスのレベルは高かったのでしょう。
ところが、昨今はそうなりにくくなっています。大分の宇佐の山間の例や静岡の替え玉選挙の例は、村の長老達が民主的な世間の変化に対応できていなかった顕著な事件として記憶に残ります。柳田の 『明治大正史世相編』の「労力の配賦」(親方制度の崩壊 他)にあるように、時流に取り残された権力者はかえって問題の元を作ってしまうのです。
故田村勇先生の優れた分析である「…村八分の心意は学校教育に今なお生きている」という一文は納得のいくものでした。学校教育での処理の不手際を数々見てきた私は、オリンパスの事件を人ごととは思えませんでした。
現在でも民事裁判は、判決が出ても遺恨を残します。特に日本人は、あとのことを考えて法律で争わないようにしてきた嫌いがあります。公民教育では単に日本では裁判が少ない、と教えてきました。しかしこの10数年、この傾向も変化してきた気がします。注意喚起としても使われてきた「村八分」制度はその効力を持たなくなり、人々は公の場で第三者に委ねて係争するようになってきました。これは民主的手続きではあるのですが、自治力の低下であるという側面もあるでしょう。
最後に、『日本近代村落の起源』(松沢裕作、岩波書店)の書評(読売22.8.31)、「そもそも近世の村が、単なる地縁共同体ではなく、年貢を村単位で集める村請制度を軸として制度化された身分集団でもあった」 という刈部直氏の論評を思い出しました。近世の村請制度は、むしろ共同体としては無機的で、近代の村落が大字を単位とした共同体として有機的であった可能性もあるようですが、村八分の現象を見る限り、近世以降の村が共同体として「内面的な紐帯」を保持し、機能していたとは、必ずしも言えないことがわかります。ひとくちに村と言っても、共同体としての村の結びつきはピンキリだった可能性もあるという気がします。
とにかく、これらはすぐに証明できることではありませんが、人々の心持ち、つまり人情が様々な理由で様変わりしたんだろうなと、読後強く思いました。近世よりも現代の方が人情が希薄になったことに、もう少し自覚的にならねばいけない気がします。
田舎の人、特にお年寄りは話が長いのですが、ここで生活して時々思うのは、長い話の中で婉曲に拒否したり、注意したりすることがあることです。結論を先に言うとか、言いたいことをはっきりさせなさいという米国式の話術に対して、日本人は逆に、意図をぼかしつつ相手に伝えるという技術があるように思います。『村八分』は、日本人のそうしたむき出しの感情の変化の推移に気付かせてくれた労作でした。
以上、徳永忠雄さんの書評を紹介させていただきました。掲載をお許しいただいた徳永さんに感謝申しあげます。
文中、故田村勇先生とあるのは、民俗学者の田村勇先生のことです。先生は、本年一〇月六日に、病気で亡くなられました(一九三六~二〇二二)。ご冥福をお祈りいたします。先生には、村八分に関する論考もあり、拙著『村八分』でも、その論考について紹介しましたが、同書の刊行が同月二〇日だったため、御高覧いただくことは、ついに叶いませんでした。
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