礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

アクセス・歴代ベスト108(2018年末)

2018-12-31 02:42:08 | コラムと名言

◎アクセス・歴代ベスト108(2018年末)

 本日は、除夜の鐘にちなんで、礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト「108」を紹介してみたい。
 順位は、二〇一八年一二月三一日現在。なおこれは、あくまでも、アクセスが多かった「日」の順位であって、アクセスが多かった「コラム」の順位ではない。

1位 16年2月24日 緒方国務相暗殺未遂事件、皇居に空襲
2位 15年10月30日 ディミトロフ、ゲッベルスを訊問する(1933)
3位 16年2月25日 鈴木貫太郎を救った夫人の「霊気術止血法」
4位 18年9月29日 邪教とあらば邪教で差支へない(佐藤義亮)
5位 16年12月31日 読んでいただきたかったコラム(2016年後半)
6位 14年7月18日 古事記真福寺本の上巻は四十四丁  
7位 18年8月19日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その5      
8位 17年4月15日 吉本隆明は独創的にして偉大な思想家なのか
9位 18年1月2日 坂口安吾、犬と闘って重傷を負う
10位 18年8月6日 桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その5

11位 17年8月15日 大事をとり別に非常用スタヂオを準備する
12位 18年8月11日 田道間守、常世国に使いして橘を求む
13位 17年1月1日 陰極まれば陽を生ずという(徳富蘇峰)
14位 17年8月6日 殻を失ったサザエは、その中味も死ぬ(東条英機)
15位 17年8月13日 国家を救うの道は、ただこれしかない
16位 15年10月31日 ゲッベルス宣伝相とディートリヒ新聞長官
17位 18年10月4日 「国民古典全書」は第一巻しか出なかった
18位 15年2月25日 映画『虎の尾を踏む男達』(1945)と東京裁判
19位 18年5月15日 鈴木治『白村江』新装版(1995)の解説を読む
20位 18年8月7日 桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その6

21位 18年5月16日 非常識に聞える言辞文章に考え抜かれた説得力がある
22位 18年5月4日 題して「種本一百両」、石川一夢のお物語
23位 18年5月23日 東条内閣、ついに総辞職(1944・7・18)
24位 18年9月30日 徴兵検査合格者に対する抽籤は廃止すべし
25位 18年1月7日 ハーグ密使事件をスクープした高石真五郎
26位 16年2月20日 廣瀬久忠書記官長、就任から11日目に辞表
27位 18年9月28日 新潮社に入社すると「ひとのみち」に入る
28位 18年7月9日 本居宣長は世界の大勢を知らないお座敷学者(竹内大真)
29位 17年8月14日 耐へ難きを耐へ忍び難きを忍び一致協力
30位 18年8月10日 天日槍はどこの国からきたのか

31位 18年8月14日 天日槍の来朝と赤絹掠奪事件
32位 18年11月27日 火事のとき赤い腰巻を振るのはなぜか
33位 17年8月17日 アメリカのどこにも、お前たちの居場所はない
34位 18年5月30日 和製ラスプーチン・飯野吉三郎と大逆事件の端緒
35位 18年12月28日 絞首刑でなく銃殺刑にしてほしかった(ベルトホルト夫人)
36位 18年11月25日 瀧川政次郎の「火と法律」を読む
37位 18年2月14日 自殺者に見られる三要素(西部邁さんの言葉をヒントに)
38位 18年3月15日 二・二六事件「蹶起趣意書」(憲政記念館企画展示より)
39位 15年8月5日 ワイマール憲法を崩壊させた第48条
40位 18年12月30日 読んでいただきたかったコラム10(2018年後半)

41位 18年10月29日 それならば、なぜ判決を急ぎ、証拠を隠滅したのか
42位 18年8月20日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その6
43位 18年12月13日 それからご飯だ、ああうれし(高村光太郎)
44位 18年5月17日 日下部文夫氏の遺稿「UBIQUITOUS ユビキタス」
45位 15年2月26日 『虎の尾を踏む男達』は、敗戦直後に着想された
46位 18年10月27日 沖縄語の耻は内地で云ふ婦人の耻かし所である
47位 17年8月16日 西神田「日本書房」と四天王寺の扇面写経
48位 18年8月23日 桃井銀平論文の全体構成(付・ブログ歴代ベスト30)
49位 18年9月12日 映画『松川事件』(1961)を鑑賞した
50位 18年7月26日 藤田反対意見の射程――桃井論文の紹介・その9

51位 18年10月28日 「横浜事件」国家賠償請求控訴事件の判決文を読んだ
52位 18年1月24日 明確な目標なき新体制論議は国民を困惑させる
53位 18年9月13日 大映ビデオミュージアム「座頭市シリーズ」18作品
54位 18年10月15日 首が飛んで糠を入れた籠の中に落ちる
55位 18年10月25日 阿波国八万村に袖ハギさんと称する祠がある
56位 17年3月11日 教育者は最も陰湿なやりかたで人を殺す
57位 18年5月28日 テーブルの上には「三種の神器」が置かれてあった
58位 18年5月24日 小磯首相の放送「大命を拝して」(1944・7・22)
59位 18年11月24日 カルロス・ゴーン日産会長解任事件の本質
60位 18年5月24日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その1

61位 18年5月27日 政略結婚は昔から権力者の常套手段(猪俣浩三)
62位 18年5月21日 橋本凝胤師から「仏罰じゃ」と言われた鈴木治
63位 18年9月22日 青雲閣書房「民衆政治講座」全24巻
64位 18年11月15日 新旧両憲法は全く別個の根本規範に根ざしている
65位 18年12月10日 大雅新書、既刊3冊近刊1冊の内容を紹介する
66位 18年11月19日 百済王は朕が外戚なり(桓武天皇)
67位 18年8月17日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その3
68位 18年3月29日 丸川珠代参議院議員の印象操作
69位 18年10月9日 「勁草全書」発刊のことば(1949)
70位 18年12月5日 暗夜、灯の消えた民家の前に佇む松本清張

71位 18年11月14日 八月革命説と丸山眞男
72位 18年5月22日 金堂薬師三尊と瓜二つの「講堂薬師三尊」
73位 18年7月6日 荻生徂徠、聖徳太子を激しく非難
74位 18年8月16日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その2
75位 18年10月20日 中でも山田孝雄博士の「梁塵秘抄をよむ」は……
76位 18年7月27日 福田芳之助著『新羅史』(1913)の「序」を読む
77位 18年6月28日 ナチス民族主義の理論に体系なし(峯村光郎)
78位 17年2月18日 張り切った心持は激しい憤激に一変した
79位 18年12月3日 北九州の小倉に森鷗外の旧居を訪ねる
80位 18年4月18日 本塁打を打ったサミー・ストラングに25ドルの罰金

81位 18年7月7日 太子に聖徳という御名は当らぬ(平田篤胤)
82位 18年6月27日 弁天島の岩波茂雄、母の訪問に驚く
83位 18年8月13日 天日槍は新羅の王子にあらず(福田芳之助)
84位 17年1月4日  東京憲兵隊本部特高課外事係を命ぜられる
85位 17年4月29日 明治7年(1874)の新潟県「捕亡吏心得書」
86位 18年10月3日 在営者の給料を平均賃金並に増額すべきである
87位 18年10月5日 「古事記伝」の訓法に画期的な修正を加える
88位 18年7月10日 1949年に起きた国鉄10大事件
89位 16年8月14日 明日、白雲飛行場滑走路を爆破せよ
90位 18年10月1日 一年在営制は議論の余地なく実現可能である

91位 18年3月19日 田中光顕、井上日召らの「謀叛」計画に賛同
92位 18年5月29日 塩谷温、天津で宣統廃帝に面会(1928)
93位 18年11月7日 吉川英治の進言とヴァイニング夫人の招聘
94位 18年11月28日 南方圏ほど法系の錯雑しているところは少ない
95位 18年8月21日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その7
96位 18年12月16日 今も「吉良の赤馬」という郷土玩具が作られている
97位 17年8月20日 『市民ケーン』のオリジナル脚本を読む
98位 18年7月11日 「国鉄」という言葉は、JNRができる前からあった
99位 18年3月13日 口は災いのもと、または、安倍首相と森友問題
100位 18年4月12日 クライストの戯曲に見る「独逸人の徹底」

101位 18年10月10日 「勁草全書」発刊予定25冊(1949)
102位 18年11月12日 ひもで印をしてるのが関東味や(松下幸之助)
103位 18年8月5日 〔この日、記事の更新なし〕
104位 18年11月22日 百済王禅興、善光寺に閻浮檀金の仏体を安置
105位 18年12月27日 フランスで死刑が廃止されるまでの経緯
106位 17年12月14日 「親族相続法」公布から一月半、満州国は滅んだ
107位 18年12月22日 桑原武夫蔵書問題と「つぶし」の問題
108位 18年9月2日 柏木隆法さんを偲ぶ

次  点 18年12月19日 イギリス映画『侵入者を追って』(1953)を観る

*このブログの人気記事 2018・12・31(8位に珍しいものが入っています)

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読んでいただきたかったコラム10(2018年後半)

2018-12-30 01:39:49 | コラムと名言

◎読んでいただきたかったコラム10(2018年後半)

 恒例により、二〇一八年後半(七月~一二月)に書いたコラムのうち、読んでいただきたかったコラムを、一〇本、挙げてみたい。おおむね、読んでいただきたかった順番になっている。

1) 12月28日 絞首刑でなく銃殺刑にしてほしかった(ベルトホルト夫人) 

2) 9月2日  柏木隆法さんを偲ぶ 

3) 10月12日 巣鴨プリズン13号扉に書かれている文字 

4) 12月19日 イギリス映画『侵入者を追って』(1953)を観る 

5) 10月4日 「国民古典全書」は第一巻しか出なかった 

6) 7月31日 杉田水脈議員は、少子化問題に真剣に取り組め 

7) 9月29日 邪教とあらば邪教で差支へない(佐藤義亮) 

8) 8月27日 朝廷は善光を百済亡命政権の元首に擁立した 

9) 9月25日 兵役に関しては有産階級に特権が付与されている 

10) 11月10日 承服できませんのでお暇を頂戴します(松下幸之助) 

次点) 10月7日 月光仮面が乗っていたオートバイの車種

*このブログの人気記事 2018・12・30

 

 

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荒木優太さんから拙著にコメントをいただいた

2018-12-29 03:21:12 | コラムと名言

◎荒木優太さんから拙著にコメントをいただいた

 今年一年の「研究成果」を振り返ってみた。このブログの「コラム」を除けば、論文一本とノウハウ本一冊のみである。論文は、雑誌『福神』第19号に掲載された「南北朝正閏問題と水戸学」である。同号が刊行されたのは本年五月だが、すでに昨年のうちに、原稿を送っておいたものである。というわけで、純粋に今年の研究成果といえば、一一月に刊行された『独学で歴史家になる方法』(日本実業出版社)のみということになる。
 刊行から一か月ほど経って、編集担当のMさんから連絡があり、文芸評論家の荒木優太さんが、この本の「読書メモ」を、twitterに載せておられるとのことであった。さっそく読ませていただくと、簡潔ながら的確にして鋭いコメントであった。「変な精神論ではなく研究方法上のテクニカルな話に終始してるのはいいね」というのは、かなりの褒め言葉ではないかと受けとった。「柳田國男の正誤表事件」に注目していただいたのも嬉しかった。申し訳ないことだが、これまで、荒木優太さんの本を読んだことがなかった。Mさんによれば、荒木さんは、『これからのエリック・ホッファーのために』(日本書籍、二〇一六年二月)を書いて注目された、気鋭の在野研究者であるという。寡聞にして、そういう本が出ていることを知らなかった。そもそも、エリック・ホッファーという名前を知らなかった。ちなみに、エリック・ホッファーは、Mさんにとって「学生時代のアイドル」だったという。
 早速、駿河台下の三省堂書店に赴き、『これからのエリック・ホッファーのために』を買い求めてきた。サブタイトルは、「在野研究者の生と心得」。タイトルとサブタイトルが逆だったら、たぶん、この本の存在を見逃さなかったと思う。なぜなら、その本が出たころ、私は、『在野学の冒険――知と経験の織りなす想像力の空間へ』(批評社、二〇一六年五月刊行)という論集のために、「在野学」関係の文章を執筆しているところだったからである。
 それはともかく、荒木優太さんのこの本は、実におもしろかった。目次の前に、四十か条に及ぶ「在野研究の心得」が列挙されているところが良い。その心得に意外性があって、しかも説得力があるのが良い。採りあげている「在野研究者」の顔ぶれが良い。個人的には、「原田大六」の章と「谷川健一」の章に、惹かれるものがあった。
 原田大六の本は、まだ読んだことがなかったが、荒木さんの本を読んで、来年は、ぜひ原田大六を読んでみようと決意した。
 谷川健一氏には、生前、一度だけ、お目にかかったことがあるが(二〇〇五年四月)、そのときは、「サンカ」について情報交換をおこなったにすぎなかった。荒木さんの本を読んで、谷川健一氏という人物自体に興味を抱いた。もっと、「個人的なこと」を伺っておくべきだったと後悔した。

*このブログの人気記事 2018・12・29(1位になぜか河東碧梧桐)

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絞首刑でなく銃殺刑にしてほしかった(ベルトホルト夫人)

2018-12-28 00:12:55 | コラムと名言

◎絞首刑でなく銃殺刑にしてほしかった(ベルトホルト夫人)

 大晦日が近づいてくると、いろいろと、やり残したことが思い浮かんで、何となく落ち着かない気分になる。このブログに関して言えば、二〇一五年五月一日に書いた〝A級戦犯の死刑執行に、なぜ「絞首刑」が選ばれたのか〟というコラムに、補足をおこなう必要があると気づいてから、半年近く経ったが、いまだに果していない。
 その「補足」というのは、A級戦犯を絞首刑にしたのは、あえて「銃殺刑」にしなかったところに意味があるのではないか、ということを指摘しておくことである。
 このことは、映画『ニュールンベルグ裁判』(ユナイテッド・アーチスト、一九六一)を、何度目かに観ていて、気づいたことである。この映画では、自分の夫がニュールンベルグ裁判で死刑にされたベルトホルト夫人(マリーネ・ディートリッヒ)が、ニュールンベルグ継続裁判のためにやってきたダン・ヘイウッド判事(スペンサー・トレイシー)に対し、静かな口調で抗議する場面がある。その抗議の趣旨は、ひとつは、夫が身に覚えのない罪で死刑にされたことであり、もうひとつは、軍人にふさわしく「銃殺刑」にしてほしかったのに「絞首刑」にされたということであった。
 一昨日、その場面をDVDで確認してみた。ベルトホルト夫人は、たしかに、そのように述べている。しかも意外だったのは、夫人の怒りは、夫が身に覚えのない罪で死刑にされたことに対するものより、夫が軍人にふさわしくない絞首刑にされたことに対するもののほうが、激しいように見てとれたことである。
 夫人が、絞首刑に抗議している場面は、映画の開始から一時間五七分ほど経ったあたりに出てくるので、今後、この映画を鑑賞される方は、できれば注意していただければと思う。
 それはともかく、ここで補足したかったことは、東京裁判でA級戦犯を「絞首刑」にしたのは、軍人に対し(死刑になったA級戦犯は、広田弘毅以外は、すべて陸軍軍人)、あえて「銃殺刑」を選ばなかった可能性があること、そしてこれは、ニュールンベルグ裁判の先例を踏まえている可能性があること、このふたつであった。なお、『ニュールンベルグ裁判』という映画は、あくもでもフィクションであり、ベルトホルト夫人やヘイウッド判事は実在の人物ではないことを、ひとこと申し添えておく。
 ところで、一昨日、この映画を観ているうちに、この映画の捉え方が変わってきた。以前、観たときは、この映画を、エルンスト・ヤニング被告(バート・ランカスター)とダン・ヘイウッド判事との対決という構図で捉えていた。当ブログの〝映画『ニュールンベルグ裁判』のテーマは「忖度」〟と題したコラム(二〇一七年一〇月二六日)は、そうした捉え方に立って、この映画を論じたものである。しかし、一昨日、この映画を観たあと、この映画は、実は、ベルトホルト夫人とダン・ヘイウッド判事との対決という構図で捉えるべきではないか、と考えなおした。このことについては、いずれ、ゆっくりと論じてみたい。それにしても、ベルトホルト夫人を演じたマリーネ・ディートリッヒの演技はすばらしい。完全に「主役」(スペンサー・トレイシー)を喰っている。

*このブログの人気記事 2018・12・28(10位に珍しいものが入っています)

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フランスで死刑が廃止されるまでの経緯

2018-12-27 00:13:57 | コラムと名言

◎フランスで死刑が廃止されるまでの経緯

 今月二四日の東京新聞「社説」は、死刑廃止問題をあつかっていた。これは、オウム真理教事件に関わって、本年、十三人に対して死刑が執行されたことを受けて書かれたものである。タイトルは、「断頭台を捨てるまで」。
 同社説によれば、フランスの議会で、初めて死刑廃止の要求が出されたのは、一九七一年で、死刑が廃止されたのは、一九八一年のことであった。社説は、ロベール・バダンテール著(藤田真理子訳)『そして、死刑は廃止された』(作品社、二〇〇二)に依拠しながら、以下のように述べている。
 
 第二次大戦後、西欧諸国が相次いで死刑を廃止し、死刑廃止と犯罪発生率には関係がないことが明らかになってきました。それでもフランスでは、特に子どもが犠牲になる凶悪犯罪が起きるたびに死刑を求める世論が強まる、という状況が続いていました。
 つまり死刑廃止は、選挙に勝たねばならぬ政治家にとって、触れたくない課題だったわけです。
 八一年の大統領選は、最終的には中道右派の現職ジスカールデスタン氏に左派のミッテラン氏が挑む構図となりました。候補者は死刑への姿勢も問われることになります。直近の世論調査では、63%が死刑賛成でした。
 私的な場では死刑に嫌悪感を示していたジスカールデスタン氏でしたが、テレビ番組では「フランス国民を代表して統治するわけですから、国民の気持ちに逆らう権利はないものと考えます」。つまり、動くつもりはない、と。
 逆に、ミッテラン氏は「世論の過半は死刑に賛成ですが、私は良心に基づいて死刑に反対します」と、姿勢を鮮明にしたのです。
 当選したのはミッテラン氏でした。新大統領は、死刑廃止の論客として知られたバダンテール氏を法相に起用し、死刑廃止法案をまとめさせました。法案は大統領与党の左派議員のみならず、野党となった右派からも相当数の議員が賛成に回って可決された。こうしてフランスはギロチンを引退させたのです。

 引用は以上。バダンテール氏の『そして、死刑は廃止された』という本は読んでいないが、読まなくてはならない本だと感じた。
 なお、細かいことを言うと、「断頭台」と「ギロチン」とは違う。「断頭台」は、斬首をおこなう際に、死刑囚を横たえる台のことであり、もともとは、死刑執行人が「斧」によって斬首する際の台のことであった。ギロチンは、断頭台と「刃」とが一体となった装置だが、一般的に断頭台と言えば、このギロチンのことを指す。
 ちなみに、日本の斬首(打ち首)は、正座させた死刑囚を前にかがませ、日本刀で首を刎ねるので、断頭台に相当するものを使用することはない。
 二〇一五年四月二九日のブログで私は、「映画『暗黒街のふたり』とギロチン刑の廃止」というコラムを書いた。同映画の公開は一九七三年だった。フランスの議会で、初めて死刑廃止の要求が出されたのが一九七一年だから、その二年後である。死刑廃止を求める動きに呼応しようとした映画だったと思われる。ギロチンによる最後の死刑が執行されたのは一九七七年。これは、同映画公開から四年後である。しかし、そのあと、ギロチン刑の執行はなく、一九八一年には死刑制度そのものが廃止された。この映画が、ギロチン刑廃止の動きを後押しした可能性は十分にある、と考えている。

*このブログの人気記事 2018・12・27

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