◎賜・以・者は、朝鮮由来の漢字使用法か
『古事記大成 3 言語文字篇』(平凡社、一九五七)から、河野六郎の論文「古事記に於ける漢字使用」を紹介している。本日は、その五回目(最後)。
六 結 論
以上、上代日本と古代朝鮮の漢字使用を概観したが、両者とも殆ど同じ過程を経て、漢字をそれぞれの言語に適合させて行った。先ず、漢字の表語性を媒介として、漢字をその示す漢語と同義の日本語や朝鮮語に宛てたが、これらの言語の語構造は一切之を無視した。やがて、この非分析的表語に慊らず〈アキタラズ〉、語構造を示すため、語の実質的部分は漢字を表語的に用いて表わし、語の文法的構造を示す部分は漢字を表音的に用いて表わした。これは両国とも急には成就し得ず、形式的に最も必要な要素、例えば語尾とか助詞の表示から始った。それも始めは不徹底であり、表示したりしなかったりした。又、特に朝鮮の場合、送仮名〈オクリガナ〉を振る時も表音が不完全であって、しばしば暗示的に省略した。これらの不完全さはやはり表語の原理によるものであって、たとえ、構造要素を示しても、それは漢字の表語を補助するものに過ぎなかった。やがて両国はその適合の過程で袂〈タモト〉を分かつ時が来た。日本ではその適合の過程をずんずん押しつめて行った。その結果、漢字の表語性を残しつつも日本語表語、即ち訓読法を馴致し、一方漢字の表音的利用も極限にまで進めて、遂に仮名を作り出し、之を以て語構成を補助的に明示することになった。すなわち、漢字の表語性と表昔的利用によって、漢字を日本語化して了ったのである。之に対し、朝鮮では漢字の適合は或る程度まで進んだが、途中で之を阻止する要因が生じ、漢字の使用は別の方向に進んだ。朝鮮では日本より中国文化の影響がより直接的であり、漢文学が教養の源泉を殆ど専有したため、朝鮮語による文学は十分に発達し得なかった。従って漢字は漢語を表示するものとするその本来の機能を離れることが出来ず、やがて漢字の訓読の可能性を抛棄して、専ら音読する方向に進んだのである。もっとも吏読〈リトウ〉や吐〈ト〉は依然用いられたが、それも文書とか経典の読解の補助手段としてであって、諺文〈オンモン〉の発明によりこれも漸次不要とされるに至った。(実際には諺文発明以後も用いられているけれども、それは惰性以外の何ものでもない)。既に述べた如く、諺文発明以前に吏読や吐などに漢字を表音的記号に使っているものがあり、その中に単音文字的使用が見られていたが、この傾向を進めず、遂に漢字から朝鮮固有の表音文字を作り出すに至らなかったのである。諺文という文字は、音節を単位とする点では、漢字の原理を踏襲しているが、単位の音節を構成する要素文字はアルファベット文字の原理を採入れているのであって、吏読や吐の中に萌芽的に見られる単音文字を発展させたものではない。
さて、本題を考察するに当って、日本の漢字使用は、朝鮮に於ける実験を前提とすると漠然と考えていたが、之を実証することが困難であることが判って来た。第一に資料が欠けている。両国の漢字使用を示す現存の資料を見ると、大体に於て日本の資料の方が古い。元興寺露盤銘(五九六)、同丈六釈迦仏光背銘(六〇五)、法隆寺金堂薬師光背銘(六〇七)、同釈迦仏光背銘(六二三)であり、古事記を奉ったのが七一二年である。これに対し朝鮮の資料は、南山新城碑(五九一)、甘山寺彌勒阿彌陀仏像後記(七一九)、開寧葛項寺石塔記(七五八)、壬申誓記石(七九二?)、竅興寺鐘銘(八五六)であって、南山新城碑を除く外は、皆年代的には新しい。しかも漢字適合の跡を考えるに足りるものは、新羅のものばかりであって、百済或いは任那のものは一つもない。新羅も恐らく百済を経て漢字文化を育てたのであろうから、新羅の金石文の中に百済からの伝統が引継がれていると思われる。若しこの想定が許されるならば、年代の新古に必ずしも拘束される必要はないかも知れない。それにしても、朝鮮の漢字使用がいまだ非分析的表語の段階にあった時に、漢字使用の方法が我が国に伝わったと思われる。というのは、日鮮両国の漢字適合の過程が、いずれもこの非分析的段階から始められているからである。その段階に於いて、彼地から移入された漢字使用の最も顕著な方法は、土語の構造無視と、土語のシンタックスによって語を配列する方法であろう。具体的に同じ漢字を以て同義の語又は形態に宛てる例は必ずしも多くはないが、「賜」を以て敬語法助動詞を示し、「以」を以て或る格助詞を表わし、又「者」を以て或る接続助詞を示すなどは、或いは朝鮮に於ける使用をそのまま襲って日本語に宛てたものかと思われる。日本に於いて、固有名詞や歌謡に漢字を表音的に用いる慣習があったが、この様なことは朝鮮には見当らない。上に見た様に新羅の古歌と称するものも、その漢字使用は極めて複雑であって、古事記の歌の様に漢字の整然たる表音的使用は見られないのである。
かくの如く朝鮮での実験が、日本に移されて結実したという考えは、当初予想された様に実証することは困難でもあり、又、漢字適合の過程からいえば、初期の段階に於いて日本が朝鮮から教えられたらしいが、これらの問題についてはなお多くの吟味と考究が必要であろう。資料の扱い、論述の運びなどに極めて不正確・不適当の点が多多あるであろうが、それらについて読者諸賢の御批判と御教示を得れば幸である。 (一九五七・十一・十八)
論文の執筆者・河野六郎について、まだ、紹介していなかった。河野六郎(こうの・ろくろう、一九一二~一九九八)は、言語学者、東京教育大学名誉教授。「朝鮮漢字音の研究」で文学博士(東京大学)。