◎近時、信教に対して無理解な圧迫を感ずる
伊藤義賢著『根本的にして最後の帰結を明示せる 神社と真宗教徒』(竹下学寮出版部、一九三四)から、その「一 緒言」を紹介している。本日は、その二回目。
然るに近時此国家非常時に当り、日本精神の作興を叫ばんとするの余り自由を与へられてゐるところの信教に対して屡々【しばしば】無理解な圧迫を感ずることを耳にするあるは誠に憲法治下の国民として尠【すくな】からず不満を感ずるところである。
思ふに、斯くの如きことは関係者に注意の足りない為めであつて、誠に国家にとつて遺憾の極みと云はねばならぬ。殊に国政にたづさはり国権を行使すべき役人は特に常に此点に留意し、充分に国民の信仰を理解し、必ずしも皆が同一の信条に立つてゐるものでないと云ふことに留意して、かりそめにも無理解な信仰圧迫をなして国民に反感を抱かしめることのないやうに心掛けて欲しいものである。かくありてこそ始めて国政を能【よ】く料理する大政治家として、国民の信頼を博【はく】する所以であると思ふ。地方の民間に於ても亦同様である。
勿論其信仰が国家の隆盛と安泰とを阻害するものであるならば、当然国家としては憲法に随つて即座に禁圧を加ふべきは云ふまでもないが、然らざる信教を圧迫することは、憲法治下の国民としては到底忍び得ざるところである。
然るに官民の間においても之れを誤つて、自家の信仰と同一の信念でないものは非国民であるかの如くに見做さうとすることは、曩【さ】きに言ふところの全国民を駈【か】つて大工にしてしまおうとするが如きものであつて、甚だ誤つた無理な考へ方である。正法を行へば天下はおのづから治まるが、不正不義を貫徹せんとするならば、其結果は必ず収拾すべからざるのものとなることは歴史の明示するところである。
職業は大工でも左官でも農工商を問ふところではあるまい、唯【たゞ】要は其れを以て国家社会を利し、国家と国民の為にならねばならぬといふ精神を没却しないならば、何【いづ】れも皆忠良の臣民と云はねばならぬ。宗教の信念に於ても亦之と同理で、国家社会を害せざる限り国民各個が各々【おのおの】自己に適した信仰として理解すするところに委【ゐ】し、各自に有縁【うえん】の宗教に生きんとするところに安住せしめて保護を加へるといふことが国家の一使命でなくてはなるまい。況【いは】んや国家の為に努力せねばならぬと教えへ、国家の安泰と隆盛を念として職務に躬行実践【きうこうじつせん】すべきことを教へる宗教に於てをやである。されば、自家の宗教的信条と相違せる教徒を目して直【たゞち】に非国民呼ばはりをするといふことは、断じて官民共に慎まなくてはならないことゝ信ずる。【以下、次回】
※「一 緒言」の三回目の記事を飛ばしてしまったことに気づきました。以下に、補足します(10月31日補足)。
◎真宗教徒を「非国民」呼ばわりするものがある
伊藤義賢著『根本的にして最後の帰結を明示せる 神社と真宗教徒』(竹下学寮出版部、一九三四)から、その「一 緒言」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。
今不肖〔私〕が、かうした問題を捕【とら】へて云為【うんゐ】する所以は如何といふに、近時動【やゝ】もすれば、我々真宗教徒が神明を奉安せす神に祈祷を捧げないといふ信条に立つてゐる態度を目して、軽率にも其内容を解せず頭から敬神観念もなく国家をも思はない者であるかの如くに誤解して非国民呼ばはりをする者が、地方に於てまゝあるやに耳にするからである。
凡【およ】そ、神仏といふものに対する観方は、それぞれの宗教で-見方が一様でない。其れにも拘らず、自家の見たる神明観以外は誤つてゐるといふ議論ならば研究の余地もあらうが、さやうな道理に立つて言ではなく、無茶苦茶に唯【たゞ】自家の見たる神明観と異なつた見方をする者を、頭から国民でないやうに考へて圧迫を加へるといふことは少しく乱暴と云はなくてはなるまい。
就中【なかんづく】、神明に就いても、大本教【おほもとけう】には大本教の見方があらう、金光教【こんくわうけう】にも天理教にも黒住教【くろづみけう】にも、一般世人の間にも、其れ其れ異なつた神明観がある筈である。随つて仏教特に浄土真宗にも大いに其の見る所がなくてはならぬといふことも予【あらかじ】め諒とせられなくてはならぬ。そこで、こうした錯雑【さくざつ】な状態にあるのだから、各宗が競ふて自家の所見を弘めやうとするのも亦已【や】むを得ないことゝ云はねばならぬ。
是【こゝ】に於て、我々も亦よく道理に立ち法則に照らして誤つた考へ方を批判し、正しい見方に転向せしめやうと常に努力して怠らない者であるが、それにも拘らず、自家の信条に一致しないものは不穏当であり非国民であるなどゝいふ態度に出るといふのであるならば、国民の智識を高め国家意識を力強く高調せねばならない時に当つて、却【かへ】つて国民をして愚民たらしめ底力【そこぢから】のないものにしてしまふものであるから、益々吾人の共鳴し得ざるところとなるのである。
然るに、今や各地に於て官民間にかうした無理解な圧迫問題を耳にするので、我々仏教徒特に浄土真宗の教徒としては、自家の見るところの神明観を世人に知らしめ、最後に仏教特に真宗からは如何に国家の神を観てゐるかを明示して世人の誤解をとき、兼ねては識者の理解と共鳴を得やうとして此一篇を草したに外ならぬ。
特に今不肖がこれを草するに致つた近い動機に就いては二件がある。其一は最近某県下に於て或種の干渉沙汰のあつたこと、其二は古来真宗の有力地たる某町が、県の指定に依つて経済更生樹立に就き、町内の真宗各寺の住職をも委員に嘱託し、国民精神作興に関する協定事項の内に神棚を町内各戸に設置して神を祀り、神宮大麻【たいま】を各戸に拝戴すべきことを決定したと確聞したことが主要な動機となつたのである。そこで昭和九年(一九三四)七月一四日始めて此稿に着手したで次第である。
是等【これら】は皆当事者間に真宗教義がよく理解せられてゐなかつた結果であるから、一応無理からぬことゝ云はねばならぬ。併しながら、是等に対する吾人教徒の態度は、徒【いたづ】らにこうしたことをした人を憎むよりも、先づ自ら退いて、自分共の平素の教義宣伝が官民間に不徹底であることを反省して、平素よくよく教化【けうけ】の徹底を期すべく益々精進し努力しなくてはならぬといふ精神を喚起することが大切であると思ふ。この小篇も全く此の趣旨貫徹の為の不肖の一微力に過ぎない。乞ふ、本篇を広く配布して平素よくよく真宗教徒の立場を明示しておかれたいと思ふ。以下述べるところを全部静かに通読せられたい。
以上で、「一 緒言」の全文を紹介したわけである。『神社と真宗教徒』の紹介は、このあとも続けるが、次回は、最後の「10 結論」を紹介したい。そのあと、必要に応じて、途中のところも紹介してゆく予定である。
なお、『神社と真宗教徒』が発行されたのは、一九三四年(昭和九)九月だが、その翌年の一二月には、「大本」に対する大弾圧(第二次大本事件)が起きている。この本で、著者の伊藤義賢は、「自家の見たる神明観と異なつた見方をする者を、頭から国民でないやうに考へて圧迫を加へるといふ」傾向があると危惧していたが、その危惧は、まさに現実のものとなったのである。
※以上が、補足です。
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