◎ヤミを禁止すると失業者が表面に出るので困る
昨日の続きである。昨日は、『失業対策と公共事業』(東洋経済新報社、一九四八)所収、北岡寿逸の講演記録「完全雇用と公共事業」から、第五節「我国現在の失業者」を紹介した。本日は、同講演記録の最後にある「質疑応答」を紹介してみたい。
回答しているのは、もちろん、講師の北岡寿逸である(当時、経済安定本部第四部長)。
質 疑 応 答
【問】日本で一番余つている資源として労力がありながら、生産が起らないのは、結局生活が安定しない、つまり賃金の問題と関連すると思いますが、その辺の解決策について‥‥。
【答】具体的にいうと、炭坑などは可成り〈カナリ〉賃金はいいのです。あすこでは住宅は、東京では十坪平均ですが、炭坑は十二坪平均で、五百円から八百円位の家賃をとらなければ引合はない家を只で貸す。米は鉱夫全体平均六合、探炭夫は七合で、その他に一合おやつとして出しますから一日八合、それから約束だけですからまだ何ともいえませんが、野菜を一日に百匁〈モンメ〉、魚五十匁、石鹸月五個、作業衣年に一着、ゴム足袋〔地下足袋〕年に八足等を出して、賃金は平均一日百十円です。これ位優遇しても人が集らない。
【問】それはどういうわけですか。
【答】ヤミ商売をしていれば、楽をして収入があるので、炭坑などへ行かない。従来は炭坑のような重労働に対しては、農業労働者が来たのですが、今日農村が割合にいいので、農村から来ない。都市は苦しいが、都市の人間はああいう労働に耐えませんから来ない。
【問】労働力は余つているのだが、重労働方面の労働力が足りない、こういう風に思いますが‥‥。
【答】そうです。そういう方面に労働が行くならば、他の労働も自ら〈オノズカラ〉需要が起りますね。
【問】これは急速に解決できない問題と思いますが、結局産業が平均的に発達しなければ、完全雇傭ということはできない、こういう結論になりませんか。
【答】とにかく現在不足の方面に人が転業すればいいのですが、なかなか転業しない。やはり本当に困つていないからですね。そこで政府はヤミの撲滅に努力しておりますか、それは今のところ悪い結果を来している。政府の意志は、本当に統制を強化してヤミを撲滅すれば、炭坑にも労働者が行くわけだというのです。
【問】労働能率が上らないというのは、労働意欲の低下という外に電力制限とか、坑木が無いとか、地下足袋が無いとか、そういうことがあると思いますが。
【答】勿論です。大部分の理由は設備が悪いためです。しかしそれが人間の意志で克服できる部面を見るならば、やはり労働者の努力が足りない、本当に労働者が奮起すればできるということです。炭坑は昔はこれは悪いことですが十時間乃至十二時間働いた。現場で八時間三交代をして二十四時間人が動いていた。現場で八時間働くためには、往復にじかんがかかるから、結局十二時間労働ということになる。ところが今日は現場四時間で、昔の半分です。設備が悪い上に運転するのが半分ですから、ずつと減るわけです。そこで、単に産業とか、経済とかいう点からならば、昔通り働けば石炭の出炭は二、三割殖える。そうすればセメント業も起るし、鉄鋼業も起るし、そして設備がよくなりますから、日本の産業は持ち直す。日本の産業を持ち直すテコはやはり労働意欲の昂揚です。
【問】最悪の場合は、労務配置が戦時中の如く強制的に行われることは予想されませんか。
【答】今日は一般的に労働が余つているのでありますから、戦時中と逆な労働配置ですね。「働かざる者は食うべからず」という原則を実行すれば、仕方がないから炭坑に行くでしよう。今はヤミが失業救済をやつている。その他に政府が行つている失業者救済は十五万人位ですが、それを止めればその人間はどこかで働く。それからヤミを抑えると炭坑にでも行くことになる。そうすれば現場の労働不足は起らない。戦時中の如き労働配置を行う必要はないし、真実に失業のある場合の労働配置は労働時間を短縮するとか、女、子供をやめさせるとか、という労働配置をする必要があるが、現在の日本はその必要はない。
【問】失業が潜在から顕在化して公共事業に吸収されるというプ口セスにおいて、要するに真面目な仕事をする人間は損である。顕在化した場合に現在就職している人間が失業して、それをヤミの生活の方に追込むということが当然考えられるのではありませんか。
【答】現在のようにヤミ商売をやつて隠れているということが許されなくなると、失業者が世の表面に出て来るから、非常に困る。困るが、近き将来そうならざるを得ない情勢にあると思う。これを普通の事業よりも公共事業に吸収する。公共事業は無限にあるのですから、吸収の道はあります。現在の如く潜在化するよりも、顕在化して、ヤミを止めて正業に従事した方が、国民経済からいえばいい。
【問】それは現在就業している人間に対する対策であつて、潜在している者に対する対策にはならないとおもいますが‥‥。
【答】潜在している者に対しても公共事業を起して、その方に吸収すればいい。顕在失業者に対しても、潜在失業者に対しても同じことです。
この「質疑応答」によって、「失業」をめぐる当時の情況、そうした情況に対する北岡寿逸の考え方などが、よくわかる。
ヤミ商売について、北岡は、「今はヤミが失業救済をやつている」と言明しており、さらに、「ヤミ商売をやつて隠れているということが許されなくなると、失業者が世の表面に出て来るから、非常に困る」とホンネを語っている。当時の情況においては、ヤミ商売という不法行為を容認する以外ないという立場だったようだ。
質問の中に、「最悪の場合は、労務配置が戦時中の如く強制的に行われることは予想されませんか」というものがあった。この質問者は、戦時中にあったような強制的な労務配置を予想(ないし期待)していたのであろう。この質問に対して北岡は、「戦時中と逆な労働配置」を考えていると述べ、強制的な労務配置の可能性を明確に否定している。
その一方で北岡は、「真実に失業のある場合」には、労働時間を短縮する、女性労働者・年少労働者を引き揚げるなどの労働配置の必要がある旨を、述べている。北岡は、ここで、ナチ政権が採用した失業対策を意識していたはずである。
北岡は、国家主導の失業対策、国家主導の労働配置はおこなわないと言明したが、そうした失業対策や労働配置の必要性そのものを否定しているわけではない。また北岡は、回答の中で、「日本の産業を持ち直すテコはやはり労働意欲の昂揚です」とか、さまざまな悪条件は「労働者が奮起すれば」克服できるといったことを強調している。
やはり、戦時中における統制主義、精神主義を、戦後においても、そのまま維持していた学者ないし官僚だったと言えるだろう。