◎水野吉太郎弁護士、安重根を幕末の志士と比べる
安重根事件の公判において、被告安重根らの弁護にあたったのは、水野吉太郎〈ミズノ・キチタロウ〉、鎌田正治(読み不詳)の両弁護士であった。
今、ウィキペディア「水野吉太郎」の項を見ると、次のようにある。
1874年(明治7年)12月、高知県香美郡富家村に生まれる。1899年(明治32年)に和仏法律学校法律科を卒業し、判事検事登用試験及び弁護士試験に合格する。/1900年(明治33年)に高知県で弁護士を開業するも、北海道に移住する。しかし、北海道での新聞事業の失敗、材木商との争いなどで、大連に渡る。/1909年の伊藤博文暗殺事件では、安重根の主任弁護士を務めた。水野は安に敬意を払っており、彼の行動を明治維新の志士と比べるという奇抜な弁論を展開した。【以下略】
では、水野は、この事件の公判で、実際、どんな風な弁護をおこなったのか。
水野の弁護の模様は、先日来、紹介している『安重根事件公判速記録』の四日目のところに記録されている。その一部を紹介してみよう。原文には句読点がないが、今回は、引用者の責任で、句読点を施してみた。句読点、〈読み〉、〔語注〕以外は、原文のままである。
日本維新前の刺客
弁護人は思います。国歩艱難の場合に、意見の衡突や誤解などから、要賂の人に対して刺客の起つた〈タッタ〉例は誠に沢山であります。日本の維新前、鎖国の夢の未だ醒めざる当時の有様は、韓国今日の現状と大分似て居ます。堺事件や生麦事件等もありましたけれども、特に此の事件と最も似寄りて考へられますには、桜田門外に水戸の浪士が大老伊井掃部頭〈カモンノカミ〉を刺した事件であります。伊井大老は、世界の大勢から見まして鎖国攘夷は到底不可能であつて、開国進取の外に途がないと云ふ事を察し、猛然俗論を排斥しまして、諸外国と通商条約を締結せむとしたのであります。浪士等は、外国の圧迫によりて通商をするは、神州の面目に関すると云ふ一片の感情から、世界の大勢をも弁へず、漫りに〈ミダリニ〉尊王攘夷の論を唱へて、一代の偉人を桜田門外に斃した〈タオシタ〉のであります。当時に於きましては、天下に世界の大勢を詳か〈ツマビラカ〉にするものがありませなんだ故に、一世を挙げて浪士等に同情をしたのは勿論でありますが、時世の進歩致しました今日と相成〈アイナリ〉ましても、彼の〈カノ〉浪士等〈ラ〉が世界の大勢に暗くして、一代の偉人を斃し、甚だしく大事を誤まりし事は認めて居りまするけれども、彼等が一身を捨てて君国の為めに酬ゆる〈ムクイル〉と云ふ赤誠から、敢て此の事を推行〔ママ〕したと云ふ所謂報国の丹心に対しては、多大の同情を以て居るのでは有ませんか。特に之等〈コレラ〉の人々の謡つた詩歌は、今も尚人口に膾炙〈カイシャ〉して後に伝はり、其意気は確かに国民の手本ともなるべきものと認められて居ると信じます。此等の浪士を本件の被告に比較すれば如何〈イカガ〉でありましよふ。無智の結果大事を誤まりし事は同様でありまする。けれども日本の当時の所謂尊王攘夷党なるものは、通商を為すは国威を傷ける面目に関すると云ふ単純なる感情論でありまして、未だ国家存亡の大事件ではありませぬ。翻て〈ヒルガエッテ〉韓国の現状は如何に〈イカニ〉と云へば、外交軍事より司法の諸権に至る迄、皆之を日本に委ねざるを得ないのみならず、大皇帝は位を退かれ、皇太子は日本に遊ばれて居るのではあります。被告の誤解の如く、若し〈モシ〉日本が韓国扶植〔援助〕の誠意なしとすれば、其の国家の事は、汲々乎〈キュウキュウコ〉として危ういのではありませぬか。被告は実に国家存亡の秋〈トキ〉であると信じたのであります。同じく事を誤つたと致しましても事態の上から考へまして、遥かに被告に同情すべき点があるのではありませぬか。更に之を両者の意気の上から考へますると、万世一系の聖天子を奉戴せる日本臣民と李朝、僅かに三百年、而かも〈シカモ〉東人西人互に相殺し、官吏は競ふて苛税を誅求し、収賄凌辱至るざる処なしとも云ふべき韓国臣民とは、其国是の軽重は同日に語る事は出来ないのであります。如此〈カクノゴトキ〉韓国臣民として居ります被告が、其報国の赤心に於て、日本の志士に譲らざるものがあると致しますれば、亦同情のの傾注を吝む〈オシム〉事は出来ない次第と考へます。
ウィキペディアは、以上のような水野弁護士の弁論に対し、「彼〔安重根〕の行動を明治維新の志士と比べるという奇抜な弁論を展開した」とコメントしたわけだが、「奇抜な」という形容は当たらないのではないか。明治維新から、まだ半世紀も経っていなかった当時、この事件、あるいは安重根らの行動を、水野弁護士のように受けとめた日本人は少なくなかったと思う。ただ、この法廷で、このように発言することは、かなりの勇気が必要だったろう。ここはせめて、「大胆な」と形容してほしかったところである。
なお、引用文中、「相殺し」の読みは、文脈から考えて、たぶん〈アイコロシ〉であろう。