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2017.11.26 『雨霧山』(509m)  今度は栗山側から林道を伝って

 

 先週に続き、今日も『雨霧山』に登ってきた。

但し、前回は夕張市南清水沢からで、

今回は栗山町東山地区から林道を利用した。

 

 実は昨日の就業時間に合わせてHiromiに来てもらい、

別の山に出かける予定だった。

ところが約束の18時を過ぎても来ない。

「どうした?」とメールすると、勘違いして私を待っていたとのこと。

二日前に山行予定を送り、昨日は休みだったHiromiに来てもらうことにしていた。

そこでつまずくと貴重な時間が狂い出すので、

出発を取りやめ、日曜日日帰りをすることにした。

外でHiromiを待っていた私が家に戻り、缶ビールの栓を開けてグビーッとやると、

今度は女房がグチャグチャ言い出した。

「何で戻ってきた?」と言うのだ。

女房も土曜の午前中まで働いており、その午後家庭内の仕事をすべて片付けて、

日曜日を一日有効に使いたいと言うのだ。

それはわかるが、何で私が戻るとそれに影響を及ぼすのかが理解できない。

私が何の邪魔をするというのか?

どこの家庭にも色々事情ってものがあるが、

我が家にもわけのわからない事情があるのよねえ~

 

 そんなこんなでなんだかすべてが嫌になり、

全くモチベーションが上がらないので、

Hiromiには単独で行動する旨伝えた。

 

 今朝東山の林道ゲート近くまで車で入ると、

突然ガツンというショックを感じた。

深い水溜りが凍っており、その氷が車の腹に当たったのだ。

「ヤバイっ!」と、すぐ後退して駐車地を見つけた。

 

 今朝8時20分、駐車地をスタート。

8時25分、林道ゲート。

この林道の名前がわからない。

どこにも書かれていない。

ゲートを越えて間もなく古い橋を渡る。

その橋には「築別川」というプレートが貼られていた。

しかし地形図によると、ここを流れるのは「東山川」となっている。

帰宅後地形図を確認してみると、「築別川」は「東山川」の一本北を流れている。

いったいどうなっているんだあ?

あのプレートは古く、ずうっと昔から「築別川」と信じてこられただろうに。

 

 この林道は明るく開けていて、歩いていても気持ちがいい。

そしてどこの林道も同じだが、蛇行を繰り返しながら徐々に高度を上げて行く。

途中でトドマツにヒグマの爪痕が残っていたり、

イタドリの上の部分が鋭利な刃物で切られていたりと、

なかなか面白いものを目にする。

中でも極めつけは「腕よりも経験よりもまず点検」という、木に貼り付けられた標語だ。

いったいいつごろそこに貼られたのかはわからないが、

「ごもっともでございます」と言いたくなる。

 

 積雪が駐車地で5cmほどだったので、一応スノーシューを背負ってスタートした。

しかし上部に至っても、その量はそれほど増えなかったので、最後まで使用することはなかった。

林道が夕張からの「雨霧林道」に合流する辺りで『雨霧山』の頂上部が目前となる。

そして少々の藪こぎで三角点のある頂上へ。

10時25分、『雨霧山』。

頂上で自家製の酸っぱいポテトサラダを挟んだサンドイッチを食べながら、

ふと周りを見回すと、木々の枝が刈払われている。

先週は気付かなかったのだが、古い跡だが明らかに刃物で切られている。

状況から考えて、見晴らしを求めてのこととしか考えられないが、

不思議なことに、はしごでも持ってこなくては当然届かないような高所の枝も切り落とされているのだ。

色々な人間がいることに、改めて首をかしげてしまう。

  下山は速い。

とんとこ下って行くと、トドマツ林の前で一枚のプレートに目が止まった。

そこには「昭和32年 植え付け」と記されている。

昭和32年といえば、私が3歳のころだ。

もう60年も前に植樹されたもの?

そしてその林道は60年前にはもうそこに付けられていた。

なんだかロマンを感ぜずにはいられない。

と同時に3歳の自分がその近くにいたことを思い出した。

3歳のころの私は、この林道入口の近くにある栗山町南学田で暮らしていたものだ。

『雨霧山』に登ることは、幼い頃から運命づけられていたような気がした。

  12時ちょうど、林道ゲート。

12時05分、駐車地。

雪に降られることもなく、楽しく歩けた往復約16km。

自分の脚で山の中を歩き、夕張と栗山をつなげることができたことに、感慨深いものがある。

週一の貴重な休みを楽しく過ごせたことに、心から満足して帰途に着いた。

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