持病である糖尿病が判明し、かつ悪化している状態がわかった2016年の春。
当時、体力的にも精神的にもボロボロでした。
電車通勤するのも厳しいくらいに疲労感と胸やけ、下痢を伴う腹痛に足の感覚が無くなるくらいの痺れ。
歩くだけで腰から足先が痺れてしまうのです。
そして、空腹感はあっても食事が進まない状態。
すでにその前年から『これはおかしい』と感じて、病院もですが、疲労感を軽減すべく整体院に通ってもいました。
近くの小田急相模原まで気分転換で徒歩で通い、整体を終えてほどよく空腹感を感じるとお店を見まわし
いやぁ、なかなかトンカツは厳しいな・・・と
で、ここは大好きなカレーに。
カレーはご飯を少な目にして玉子サラダをトッピング。
ゴマドレッシングをかけて食べるも、結局は食べきれず・・・。
やはりおかしい、空腹感があるのになぜ食べられない・・・。
無理して食べてもお腹を壊すだけ。
病院の結果もとくに異状はみられないとの結果。
気のせい?でもお腹の壊し方もこれまでよりもひどいし、なにより足の痺れや疲労感、胸やけが気になるんだけど・・・。
やがて春を迎えます。
春を迎えても帰るのは深夜。
時には寝てしまい、そのまま藤沢まで行ってしまうことも。
で、藤沢でとりあえず晩飯。
こんな状態でも、不思議と酒を呑むと疲労感も軽くなるんですよ。
あれ?アルコールで酔ってるからか??
でもこれが、じつは大きなカギとなっていたわけです。
4月になり、健康診断を兼ねて別の病院に受診した私。
検査が終わって会計を待っていると、いきなりのお呼び出し。
『医師からお話があります』と。
医師からは『血糖値が異常です。(当時)空腹時で300を超えて、平均値が11%を超えてます』
いきなりそんなことを言われても???ですよね。
「大学病院に入院して検査をしてください。仕事があるとは思いますけど、命があっての仕事ですよ」と告げられました。
じつは当時勤務していた会社では、別部署で急死されたほぼ同年代の人がいました。
これはただ事ではない。
さっそく大学病院を自ら選び(病院は自分で探さないといけないんですよ)、自宅近くの大学病院へ。
早朝から検査と診察を繰り返し、結果が「ほぼ1型に近い2型の糖尿病」の診断。
検査入院も必要で、すぐに入院の手配がなされました。
入院までの間、仕事では引継ぎ作業、休みには入院の準備と気分転換の散歩。
で、入院。
病気が発覚してからずっと考えていたのが「仕事を辞めるかどうか」ということ。
ここで担当してくれた医師から「ご自身の決断ですけど、現在のままの状態を続けたら死んでしまうこともあります。現在で死の半歩手前でとどまってますよ」と。
これで決めました。仕事をやめようと。
ただ、やめても次をどうしようか?
当時、住んでた相模原の近所でも仕事はいくつかありましたから、それをやろうかとも思っていたところ。
家族からの連絡。
「いいから戻ってこい。仕事もなにも身体が言うことをきかないならどうしようもないだろう」と。
それは深緑の中での会話でした。
そして入院。
退院してもしばらくは自宅療養を続けつつ、会社とは退職への手続きを相談してました。
でも、なかなか話し合いに応じない会社側。
理由は当時、現場で責任者クラスが退職していたのと、面倒な現場を押し付ける人間がいなくなる恐れ。
でも、これに安易にイエスとしてしまえば、私の寿命は尽きてしまいます。
珈琲を飲んで決断です。
会社宛に辞表の意思を記す手紙を送り、出社。
さすがに会社側も私の辞意を認めてましたが、その後も退職まで色々とはありました(笑)
それはまた別の機会で書きたいと思います。
で、アルコールなんですが。
当時の私、以前から甘いものなどお菓子など間食はなるべく控えていたんですけども、どうしても甘いものが欲しくなっていて、珍しく珈琲牛乳のパックなどをがぶ飲みしたりしてました。
ただお酒を呑んでると疲労感も甘さを欲するなんてこともほとんど感じません。
これを医師に聞いてみると
「アルコールは血糖値を下げる効果があります。しかも飲酒されていたのは糖質0の発泡酒や焼酎割のチューハイ。おそらく飲酒の間は血糖値が下がりほぼ正常に近い状態を保てていたのでしょう。胸やけはお酒もありますが、おそらくストレスによる影響でしょう」とのこと。
私の場合はインスリンの分泌量が極端に減少してしまい、その影響による糖尿病とのことで、元々やせ形だったので、病気の進行で体重減少と下痢などの影響もあって筋力の低下もあり症状が悪化していたそうです。
ただ、飲酒により(これも糖質など気を付けてた選び方をしていたので)症状は改善していて、その拮抗状態で推移していたのだとか。
人間、何がうまく転がるかわからないもんです(笑)
入院の時のお話はまた別の機会で書きたいと思いますが、初めて「仕事やめないと死ぬよ」と云われたのは衝撃的でした。
まぁ、「命あってのものダネ」とは言いますからね、生きてればなんとかなります。
仕事はいくらでも探せばありますし、それまでの経験など活かせることもあります。
でも、それも生きていればということ。
明石家さんまの名言『生きてるだけでまるもうけ』が脳裏に浮かびました。
そうなんですよ、とにもかくにも生きててなんぼなんです。
これで私は仕事も辞め、故郷に戻ることにしたのでした。
当時、体力的にも精神的にもボロボロでした。
電車通勤するのも厳しいくらいに疲労感と胸やけ、下痢を伴う腹痛に足の感覚が無くなるくらいの痺れ。
歩くだけで腰から足先が痺れてしまうのです。
そして、空腹感はあっても食事が進まない状態。
すでにその前年から『これはおかしい』と感じて、病院もですが、疲労感を軽減すべく整体院に通ってもいました。
近くの小田急相模原まで気分転換で徒歩で通い、整体を終えてほどよく空腹感を感じるとお店を見まわし
いやぁ、なかなかトンカツは厳しいな・・・と
で、ここは大好きなカレーに。
カレーはご飯を少な目にして玉子サラダをトッピング。
ゴマドレッシングをかけて食べるも、結局は食べきれず・・・。
やはりおかしい、空腹感があるのになぜ食べられない・・・。
無理して食べてもお腹を壊すだけ。
病院の結果もとくに異状はみられないとの結果。
気のせい?でもお腹の壊し方もこれまでよりもひどいし、なにより足の痺れや疲労感、胸やけが気になるんだけど・・・。
やがて春を迎えます。
春を迎えても帰るのは深夜。
時には寝てしまい、そのまま藤沢まで行ってしまうことも。
で、藤沢でとりあえず晩飯。
こんな状態でも、不思議と酒を呑むと疲労感も軽くなるんですよ。
あれ?アルコールで酔ってるからか??
でもこれが、じつは大きなカギとなっていたわけです。
4月になり、健康診断を兼ねて別の病院に受診した私。
検査が終わって会計を待っていると、いきなりのお呼び出し。
『医師からお話があります』と。
医師からは『血糖値が異常です。(当時)空腹時で300を超えて、平均値が11%を超えてます』
いきなりそんなことを言われても???ですよね。
「大学病院に入院して検査をしてください。仕事があるとは思いますけど、命があっての仕事ですよ」と告げられました。
じつは当時勤務していた会社では、別部署で急死されたほぼ同年代の人がいました。
これはただ事ではない。
さっそく大学病院を自ら選び(病院は自分で探さないといけないんですよ)、自宅近くの大学病院へ。
早朝から検査と診察を繰り返し、結果が「ほぼ1型に近い2型の糖尿病」の診断。
検査入院も必要で、すぐに入院の手配がなされました。
入院までの間、仕事では引継ぎ作業、休みには入院の準備と気分転換の散歩。
で、入院。
病気が発覚してからずっと考えていたのが「仕事を辞めるかどうか」ということ。
ここで担当してくれた医師から「ご自身の決断ですけど、現在のままの状態を続けたら死んでしまうこともあります。現在で死の半歩手前でとどまってますよ」と。
これで決めました。仕事をやめようと。
ただ、やめても次をどうしようか?
当時、住んでた相模原の近所でも仕事はいくつかありましたから、それをやろうかとも思っていたところ。
家族からの連絡。
「いいから戻ってこい。仕事もなにも身体が言うことをきかないならどうしようもないだろう」と。
それは深緑の中での会話でした。
そして入院。
退院してもしばらくは自宅療養を続けつつ、会社とは退職への手続きを相談してました。
でも、なかなか話し合いに応じない会社側。
理由は当時、現場で責任者クラスが退職していたのと、面倒な現場を押し付ける人間がいなくなる恐れ。
でも、これに安易にイエスとしてしまえば、私の寿命は尽きてしまいます。
珈琲を飲んで決断です。
会社宛に辞表の意思を記す手紙を送り、出社。
さすがに会社側も私の辞意を認めてましたが、その後も退職まで色々とはありました(笑)
それはまた別の機会で書きたいと思います。
で、アルコールなんですが。
当時の私、以前から甘いものなどお菓子など間食はなるべく控えていたんですけども、どうしても甘いものが欲しくなっていて、珍しく珈琲牛乳のパックなどをがぶ飲みしたりしてました。
ただお酒を呑んでると疲労感も甘さを欲するなんてこともほとんど感じません。
これを医師に聞いてみると
「アルコールは血糖値を下げる効果があります。しかも飲酒されていたのは糖質0の発泡酒や焼酎割のチューハイ。おそらく飲酒の間は血糖値が下がりほぼ正常に近い状態を保てていたのでしょう。胸やけはお酒もありますが、おそらくストレスによる影響でしょう」とのこと。
私の場合はインスリンの分泌量が極端に減少してしまい、その影響による糖尿病とのことで、元々やせ形だったので、病気の進行で体重減少と下痢などの影響もあって筋力の低下もあり症状が悪化していたそうです。
ただ、飲酒により(これも糖質など気を付けてた選び方をしていたので)症状は改善していて、その拮抗状態で推移していたのだとか。
人間、何がうまく転がるかわからないもんです(笑)
入院の時のお話はまた別の機会で書きたいと思いますが、初めて「仕事やめないと死ぬよ」と云われたのは衝撃的でした。
まぁ、「命あってのものダネ」とは言いますからね、生きてればなんとかなります。
仕事はいくらでも探せばありますし、それまでの経験など活かせることもあります。
でも、それも生きていればということ。
明石家さんまの名言『生きてるだけでまるもうけ』が脳裏に浮かびました。
そうなんですよ、とにもかくにも生きててなんぼなんです。
これで私は仕事も辞め、故郷に戻ることにしたのでした。
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