エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ:創造の特色

2016-08-08 07:24:57 | 聖書の言葉から

 

 

 
ユングが教えてくれる、「無力な個人にできること」
   私どものカイロス ヴィジョンの基盤と「超越」2013-08-06 02:36:13 | エリクソンの発達臨床心理&...>続きを読む ......
 

 

 今日は、『旧約聖書』の初め「創世記」から。創造の物語です。関根正雄先生の翻訳で。タイトルは「創造」、サブタイトルは「イ 祭司資料の創造記」とあります。岩波文庫『旧約聖書 創世記』p.8.

 

 

 

 

 初めに神が創造された。地は混沌としていた。暗黒(やみ)が原始の海の表面にあり、神の霊風が大水の表面に吹きまくっていたが、神が「光あれよ」と言わせると、光が出来た。神は光を見てよしとされた。神は光と暗黒との混合を分け、神は光を昼と呼び、暗黒を夜と呼ばれた。こうして夕があり、また朝があった。以上が最初の一日である。

 

 

 

 

 

 創造の一日目を記したところです。はじめは混沌としていて、その後光と暗黒の分別が出来ました。これは意識と無意識が湧けられているところとパラレルです。

 神の言葉「光あれよ」は、そのまま出来事になって、光が表れます。「言葉」「出来事」は同じダーバールと言う言葉です。つまり、神が言葉にしたことは、必ず出来事になる、ということです。しかも、神は出来事のなった光を見て「良し」とされます。「良かった」と言います。神の言葉が出来事になれば、それは「良かった」ことになる、という訳です。

 「言葉」と「出来事」と「良い」の一致こそは、ウソのない素晴らしい、この創造の特色です。

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発達トラウマ障害(DTD)のセラピーが続かない訳

2016-08-08 04:21:32 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
自分の人生を始めること
  私どもは、共同幻想に流されやすい。 Young Man Luther 『青年ルター』p.217の第1パラグラフ、下から7行目途中から。     ......
 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども。仕事や研究で、赤ちゃんの相手をしないネグレクトがある場合、リズム感がないらしい。リズム感がないことが、赤ちゃんの頃のネグレクトのサインになるかもね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.145に第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 はじめからずって、教室がコナーの不満の種でしたし、母親のジェーンもこれにはガッカリでした。この時点で、私どもはコナーの治療をして9ヶ月でした。コナーが癇癪を起す頻度は減ってきたのですが、とある日、学校でコナーはひどい癇癪を起しました。学校の教職員達はジェーンの職場に電話を掛けて、「すぐにコナーを連れ帰ってください」と言います。週に何度もかかって来るジェーンの、お決まりの、喚き散らした電話に慣れっこでしたが、この件でジェーンの絶望が新たな段階に入ってしまいました。ジェーンは、「これじゃあ、コナーのセラピーは失敗だ」と思った訳です。ですから、私は、あらん限りの説得力でもって、「今やっているセラピーを続けてもらいたい」と言いました。ジェーンは、何人もの優秀なセラピスト、精神科医、心理学者を渡り歩いて来てますから、私どもがやっている治療が、以前の治療みたいに、はた目には、見えませんでした。ジェーンも、発達トラウマ障害(DTD)にもがき苦しんでいる子どもたちの、たくさんな親と同様、「正しい」薬を見つけて、コナーに年相応のことができるようにしてほしい、と私どもに求めたわけです。

 

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授がさっき(のブログの中で)言ってたことと同じでしょ。良い関係が出来ても、症状が改善しないと、セラピーは続かない。親は「効く薬を出して、子どもが困ったことをしなくなればいい、くらいにしか思っていないのです。困った行動や症状が続けば、セラピーをさせなくなりますよね。

 ですから、良い関係を創り出すだけじゃあなくて、実際に症状を軽減する努力をして行くことが大事でしょう。

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モデル・チェインジ 視座の・チェインジ

2016-08-08 03:32:48 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
静かな目的
  人生にまとまりをもたらすように物語をあなたも作ってくださいね。  The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p65の 下から6......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども一番大事なやりとりは、一緒にいて安心できる関係から始まります。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.354の、最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもが治療している子ども達の中には、言葉を使って、人とやり取りすることが全くできない子どもが多いんです。そういう子ども達は、大声を張り上げ、命令し、機嫌が悪くなり、人の話を聴かない大人に飼い馴らされているからです。支援のはじめの一歩は、子どもたちの教員に、いろんな気持ちについて話をしても良いし、経験を言葉にしても良いし、助けを求めて良いんだよ、という新しいモデルです。子どもが癇癪を起した時に「止めなさい」と言ったり、子どもを教室の隅に座らせたりする代わりに、教員たちは、勇気づけられて、その子の経験に触れて名付けたいと思うようになるのです。たとえば、「イライラしているのが分かりますよ」だとか、子どもを助けたいときに「ソファに座りたいのかしら、それとも、私の膝に座りたいかしら?」だとか。それは、自分の気持ちと自分の声を、子ども達が見つけられるようにと手助けしている訳ですね。「放課後帰宅してから、何があったの?」みたいにね。子どもが本当のことを言っても大丈夫って分かるまでには、数か月かかります。(なぜなら、それまでは、本当のことを言って大丈夫でないからです)しかし、大人たちにとっても、子ども達にとっても、経験したことの真実ハッキリとさせることは、トラウマから回復するために、なくてはならないことなんですね。

 

 

 

 

 

 気もちや経験を言葉にして良い。これが発達トラウマ障害(DTD)のセラピーでも、基本中の基本でしょう。でも、この基本が現実になるためには、関わる大人の視座が、何かを教えることから、耳を澄ませることへと、変更されていなければなりません。メタノイアですね。

 ですから、大声を張り上げ、命令し、機嫌が悪くなり、人の話を聴かない大人(親と教員)には、メタノイアが是非とも必要です。

 

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真実なトラウマ治療の条件

2016-08-08 02:17:27 | 間奏曲

 

 

 
ユングが教えてくれる、「無力な個人にできること」
   私どものカイロス ヴィジョンの基盤と「超越」2013-08-06 02:36:13 | エリクソンの発達臨床心理&...>続きを読む ......
 

 Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self   consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること  意識、脳科学、治療』の翻訳。 発達トラウマ障害(DTD)の子どものセラピーは、安全、信頼、希望のあるセラピーの関係を育まれると、いまここを生きている実感が持てます

 最終章の第7章、p.281のブランクから。

 

 

 

 

 

 

 安全で、信頼できる、希望を注ぎ込んでくれるセラピー関係には、定評ある力があるのにもかかわらず、そういうセラピー関係さえできれば、ほとんどのケースで回復するのに十分だ、と思ったら、大間違えだと私どもは確信しています。私どもの見方からすれば、支援的なセラピーだけでは、真実なトラウマ治療」には及びません。症状を軽減することに明確には焦点が当たっていませんし、過去のトラウマの記憶と深い悲しみを直に折り合いをつけることもできていないからです(ベニシュ、イメルとワムポルド、2008)。それに比較べて、クライアントの時間、思考、身体感覚、情緒に対する感じに関係する変性意識、TRASCの症状を、治療の初期段階でなくしていくことは、賢明のように思えます。それも、クライアントが自分の意識に起きた変化に、進んで、体験的に、心を開いていけるほど、TRASCの症状がなくなる訳です。治療の初めにこの症状がなくなる経験をしていると、将来、心の底のトラウマも回復できるとという希望も持てるものですよ。それは、エリカが述べているように、そのような意識的な変化そのものは、苦痛であったとしても、変わりません。

 

 

 

 

 

 良い関係が出来るだけでは、不十分、というのがラニウス教授らのご意見です。それはそうかもしれません。しかし、関係を良いものにしようという関わり、その思いがないと、先には進みませんからね。とにかく、TRASCの症状は辛い、辛すぎる。

 私の感覚では、確かに関係が出来るだけでは、TRASCの症状がなくならない。TRASCの症状を失くしていくためには、それなりの工夫、手立てが必要です。演劇セラピーでも良し。マインドフルネスでも良し。箱庭でも良し。何らかの手立てを用いて、TRASCの症状を軽減しておかないと、確かにセラピーが続きませんからね。

 

 

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