エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

トラウマ記憶を物語にする方法は、いろいろある

2016-08-21 07:38:22 | トラウマを負う≪本当の自分≫を取り戻す

 

 

 

 
本物の信頼の復活
  命と命の響き合いは、強い立場の者が、弱い立場の者に対して、敢えて低い立場を選択することからしか生まれない、対等なコミュニケーションです。 Young Man Lut......
 

 

 Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self   consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること  意識、脳科学、治療』の翻訳。発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども、そのセラピーでは、発達トラウマ障害(DTD)の背景となる典型的な出来事を物語にすることが有効です。

 最終章の第7章、p.283の、下から2行目から。

 

 

 

 

 

 様々な方法が、トラウマやそれに伴う深い悲しみを物語にする方法として用いられていますけれども、それが文献に記されてきましたし、これらの治療法の詳細なレヴィウは、この章ではやり切れません。いろんな治療法を再加工する、様々な特定のトラウマ記憶に相渡って、共通することがたくさんあると思うのは、ケチな話です。ただし、あるタイプのクライアントが、特定の治療法が他の治療法よりも、反応が良いとか、、好みだ、ということがあることは、確かにあることです(コンスタンティーノ、アーンコフ、グラスとスミス,2011; ノークロス、ワンポルド ,2011; ロス、フォナギー,2004; スウィフ、キャラハンとヴォルマー,2011 )。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の背景となっている記憶を再処理して治療する方法には、様々なやり方があるようですね。まだ、日本ではそれほど紹介されていませんし、さらには、その様々な治療法が試されていることは、一層少ないはずです。

 ただし、この文脈から言うと、特に、特定の治療法が優れているとは言えない感じですね。クライアントが反応が良い方法、好みの方法を、セラピストが一緒に見つけてあげるのが良いみたいですね。

 

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インターメッツォ: すべての学習の土台

2016-08-21 02:52:20 | 間奏曲

 

 

 
戦争と知的障害児たち 忘れちゃいけない歴史 改訂版
滝乃川学園本館 現在は「石井亮一・筆子記念館」東京都国立市谷保6312  アーメン、≪話し言葉≫がいまここで≪出来事≫になります!  「言っていること」......
 


 今宵も、金森俊朗さんの言葉。『4年1組命の授業』から。

 

 

 

 

 いのちの学習の土台は、「生きるって素晴らしい!」という手応え、実感だ。いや、これはすべての学習の土台だと言ってもよいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 子どもを前にして、「生きるって素晴らしい!」という手応え、実感を持っていることは、実に大事なことです。

 子どもを前にして、「生きるって素晴らしい!」という手応え、実感のない大人が、実に多いんです。

 あなたは?

 

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人付き合いって、難しい

2016-08-21 02:23:37 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
子育てから国際政治まで
  rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」が、あらゆるイジメ、あらゆる差別、あらゆる心の病、あらゆる......
 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども。コナー君の準備が整うまで、ブルース・ペリー教授は、時を待つのでしたね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.148の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 思った以上に、対人スキルの学びは困難でした。ボディ・ランゲージや対人関係の中で「やっていも良い」とサインは、コナーにとっては了解不能でした。そう言ったものは、単純にコナーに入って行きませんでした。コナーと共働で治療をしていると、人と人のコミュニケーションって、いかに洗練されていて、いかに微妙なものかってことを、繰り返し実感しましたね。たとえば、人と関わる時には、アイ・コンタクトが良いことだとされるものだから、人の話を聴いたり、人に話をする時には、人を見てすることが大事ですよ、と言ったとします。すると、コナーは、分かりました、と言ったけれども、コナーは以前、床から目を離さなかったみたいに、私から目を離さない、という有様でしたね。

 

 

 

 

 

 人付き合いはむずかしい。言葉にし尽すこともできません。スキルに還元しきることもできませんでしょ。ソーシャル・スキル・トレーニングに対して、元来私は懐疑的です。形ばかり覚えても、形式はウソになりがちだからです。

 ブルース・ペリー教授のソーシャル・スキル・トレーニングも、だいぶ苦戦してますもんね。

 

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トラウマの時とは真逆な気持ちになる

2016-08-21 01:40:14 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
本物の信頼の復活
  命と命の響き合いは、強い立場の者が、弱い立場の者に対して、敢えて低い立場を選択することからしか生まれない、対等なコミュニケーションです。 Young Man Lut......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども演じることが、自分のトラウマと折り合いをつけることに役立つと、子ども自身が気付くと、演じることにも身が入るみたいですね。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.357の最後の、最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

こういった強力な共働の努力によって、子ども達は協力たり、歩み寄ったり、眼の前の課題に集中したりすることになります。緊張は高まる場合が多いのですが、子ども達は緊張を保つのは、コーチや監督から大事にして貰いたいからですし、をがっかりさせたくないからです。こういった気持ちは全ては、気まぐれな虐待、隠れたネグレクト、トラウマの言うに言われぬ淋しさに翻弄されていた脆さ、とは正反対です。

 

 

 

 

 

 チームで共同で努力する演劇などは、仲間意識が出来れば、トラウマを癒す治癒力があるらしい。それは、ネグレクトにまつわる気持ちとは正反対の気持ち、大事にされたい、みんなをがっかりさせたくない、という気持ちがあるかららしい。

 

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