エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害(DTD)のセラピーは、急がば回れ

2016-08-19 06:23:08 | トラウマを負う≪本当の自分≫を取り戻す

 

 

 
ベリート=相手が得する一方的約束 
  「ねばならない」の真面目人間は、河合隼雄先生が言う遊びが少ない大人です。創造的なことはしにくいわけですね。悦んで何かを楽しむことが少ないからですね。なぜなら、創造的なこ......
 

 Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self   consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること  意識、脳科学、治療』の翻訳。発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子どもも、セラピーでは、発達トラウマ障害(DTD)の子どもとセラピストの強力な信頼関係のある治療同盟くらい大事なものはありません。

 最終章の第7章、p.283の、第3パラグラフの7行目途中から。

 

 

 

 

 

 クライアントが、この酷く悩むセラピーの段階で、安心を感じる間合いをいつも大事にすることや、時には「急がば回れ」に心致すこと(クラフト,1993,p.146)は、このセラピーにはままありがちな悩みの強さを計量するのに役立ちます。さらには、喪の作業は、過去を未来に繋ぐ架け橋と見る見方こそが、トラウマのセラピーに含まれることが多い喪の作業に対する指針を提供するのに役立つ譬え、と言えるでしょうね。

 

 

 

 

 

 喪の作業は、過去を未来に繋ぐ架け橋だそうですね。でも、およそ、すべてのサイコセラピーは、過去を未来に繋ぐ架け橋となるのが基本です。

 残念ですが、結果としてそうならないセラピーも、ごまんとあるのですが。

 

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発達トラウマ障害(DTD)の子どもは、お友達と仲良くするのが苦手

2016-08-19 04:45:48 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
ものがたりの “不思議“
   言葉と出来事を一致させる力  神様のそのお名前が、「私は自分の言ったことは必ず出来事にする者です」ということです。それはフロムには叱られるかもしれ......
 

 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども。コナー君に関わるブルース・ペリー教授の関わり方には、心のゆとりがありました。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.147の対話の後から。

 

 

 

 

 

 ところが、2・3週間後になると、コナーは、話したいことがあるんだけど、というんですね。コナーと私は、顔と顔とが合うように座ってから、コナーは「なんで、セラピーをするの?」と訊いてきました。これは、コナーがそれまで馴染んできたセラピーとは、全く異なるものでした。そこで私がコナーに伝え出したのは、脳と脳の発達のことでした。私がコナーに話したのは、コナーが赤ちゃんの頃に起きたと思われることでした。科学はコナーにとって大事なことでしたから、コナーはすぐに知りたがりました。「次は? 次は何すんの?」それは、人と仲良くなることについて話をした時のことでしたが、コナーには、「コナーは、人と仲良くするのが下手くそだもんね」と言いました。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども等は、例外なく? 人と仲良くするのが苦手です。何たんたって、対人関係のひな形の、赤ちゃんの頃との母子関係が、ひどいものだったんですから、人付き合いがヘタッビーでも、仕方ありませんし、ある意味当然の帰結です。

 コナー君もお友達と仲良く出来ないのが、気になっていたはずです。

 

 

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体育・音楽の力

2016-08-19 04:16:56 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
空気の濃さ
  老年期の、disdain ディスデイン 「人を人とも思わない、底意地の悪い気持ち」。 成人期の、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども発達トラウマ障害(DTD)の子どもに大切なのが、この集団の中で、愉しみながら課題に挑戦する、それが大事らしい。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.357の最後の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 体育、音楽、ダンス、演劇は全て、主体性や地域の力が付きますね。これらの授業は、子ども達が新しい挑戦や馴れない役割に関わってもらうことになります。不況下のポスト産業化したニューイングランドの街で、私の友人のキャロルとエリ・ニューバーガーは、エル・システマを教えています。このエル・システマは、もともと、ベネズエラで生まれた音楽の授業です。たくさんの私の生徒たちが、ボストンの犯罪多発地域で、ブラジルのカポエイラを取り入れた、放課後のオーケストラの授業の運営に関わっていますし、トラウマ・センターの私の同僚も、トラウマ・ドラマの授業の運営に関わっています。

 

 

 

 

 体育、音楽、ダンス、演劇。主要3科目ではありません。主要5教科でもありません。心理面接で授業をスキップするのは、たいてい、体育か音楽、ということに相場が決まってます。

 しかし、集団ですることが多い、体育、音楽、ダンス、演劇。これは、子どもたちの主体性、地域の力がつくと言いますね。教育には、多様な視点が必要です。

 

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あなたは、「教」派?、それとも、「学」派?

2016-08-19 02:56:24 | 間奏曲

 
ベリート=相手が得する一方的約束 
  「ねばならない」の真面目人間は、河合隼雄先生が言う遊びが少ない大人です。創造的なことはしにくいわけですね。悦んで何かを楽しむことが少ないからですね。なぜなら、創造的なこ......
 


  2014年4月27日、マイケル・サンデルさんが、「マイケル・サンデルの白熱教室 これからの学校の話をしよう」と題して、教育の話がありました。ご覧になりましたか。

 その中で中学生の男の子Hiro君が、「教師は生徒たちに、『こうしなさい』とか『あーしなさい』とか、強要するから、教師にはなりたくない」という意見を言いました。それを受けて、サンデルさんが、38年間教師をされた、金森俊朗さんに意見を求めました。その時の金森俊朗さんの言葉は、大事ですので、その言葉に耳を傾けたいと思います。

 

 

 

 

 

 (ニッポンの教員は)強制することが多いと思います。二ッポンで「教える」という漢字「教」は、「手に鞭を持っている」という文字です。ところが、「学ぶ」という漢字「学」は、「教える事柄を、両手で子どもに差し出す」という意味です。ニッポンの学校は、どうしても、学ばせる、教え込む、という要素が非常に強いんですね。… “『本、読みなさい』という先生は信じるな“ 。 本を読んでる教師は、本を持ってきて、題名を言って、『この本、面白いよ』、『この作家、僕好きなんだよ』っという風に、言う。でも、残念ながら、そういう(後者の)先生は、とても少ない」

 

 

 

 

 

 コナーに関わった時の、ブルース・ペリー教授は、まさに、この後者の教師ですね。セラピーのチャンスを提供するけれども、決して、セラピーを「強要」することはありませんでしょ。

 金森俊朗さんがおっしゃるみたいに、「強要」する教員、手に見えない鞭を持つ「教」派の教師が、圧倒的多数派で、「学」派の教師は、極めて少数派です。

 私の意見を次の2点に今回は集約してみました。

 1) 「教養」がない教員程、子ども等に「強要」するダメ教師

 同じことを別の言葉でいうと、

 1´) 「無知」な教員程、「無恥」な教員程、手に鞭をもって、子どもを、人をコントロール、支配しようとするダメ教師

 これだけじゃぁ、寂しいでしょうから、次も。

 2) 教養と内省のある教員程、ひとりびとりの≪自由≫を尊び、≪学ぶ喜び≫を子ども等にプレゼントしたいと願う、真の教師

 peace ✌

 

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