エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

不安定なニッポン人

2016-08-16 08:11:15 | 間奏曲

 

 ニッポン人は、ユダヤ・キリスト教文化圏の人と同様、≪いまここ≫を大事にします

 ユダヤ・キリスト教文化圏の人は、「最後の審判」や「自分を大事にするみたいに、あなたの隣り人を大事にするはずです」という教えに照らして、≪いまここ≫を点検しながら、≪いまここ≫を、時間軸や対人関係などの中で位置づけながら、生きることになります。ですから、いまここを、創造的に、積極的に生きることができますね。

 じゃぁ日本人は?

 その辺を教えて下さる、丸山眞男教授の言葉から。『丸山眞男集』第十巻から。

 

 

 

 

 

 「いま」の肯定が、生の積極的価値の肯定ではなくて、不断の移ろいゆくものとしての現在の肯定である限り、肯定される現在はまさに「無常」であり、逆に無常としての「現在世」は無数の「いま」に細分化されながら享受される。「なりゆく」ものとしての現在は、つぎの「いま」の到来によって刻々過去に繰り入れられるので、「いま」の肯定なり享受なりは、絶えず次の瞬間━━遠い未来ではなく━━を迎え入れようとする一種不安定な心構えとして現れざるをえない。

 

 

 

 

 

 

 このように、ニッポン人は、今をイキイキ、ピチピチと生きると言うよりも、不安定な心構えを、何とか、少しでも、落ち着いたものにしようともがきながら生きざるを得ません。時間軸でも、空間軸でも、ニッポン人は、≪いまここ≫を位置付けることはできません。しかし、自分をどこかに位置付けなくてはなりません。何かに託さないと、生きていくことができません。何とか位置づけようとしてニッポン人がメッケタのが、会社や組織などのポジションと、その上下を比較することで「上」になることなんですね。

 ですから、いくつになっても、「上」に拘る幼稚な動機付けから自由になれない、ということになりがちです。

 

 

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≪私という感じ≫が蘇る時

2016-08-16 06:06:14 | トラウマを負う≪本当の自分≫を取り戻す

 

 

 

 
本物は、なんにもしないところから・・・。
                       本物の信頼は、エバーグリーン!  ルターは鼻が利くからでしょう、ミセカケやゴマカシは、お嫌いでした。 Young Ma......
 

 

 Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self   consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること  意識、脳科学、治療』の翻訳。発達トラウマ障害(DTD)の子どもで、TRASCがあつてもなくても、早期治療するの限ります。

 最終章の第7章、p.283の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 過去に繰り返し味わった怖いことに、安心できるセラピーの場で、向き合うことで初めて、トラウマを負わされた人は、ひとりびとり、「それまでは、話せなかったこと」を話せること出来るようになります(ハーマン,1992)し、トラウマを負わされた時の記憶を、蘇ってくるものではなく、思い出すことができる物語に変換することができます。この変容過程が生じる時、≪私という感じ≫が蘇ってくるのを体験します。それは、時間、思い、身体、気持ちに相渡つて、一層変わることのない、一層一貫性のある意識が、生じるからです。

 

 

 

 

 

 ≪私という感じ≫、それは、最初は、何となくそう感じます、という程度のものです。エリクソンは、意識から無意識まであい渡るもの、観察可能な部分と、分析しなくは分からない部分もあると言いますね。

 しかし、この最初はおぼろげな、≪私という感じ≫も、言葉と信頼できる相手と、そして、何よりも、内省的な日々の生活によって、確かなものになる訳ですね。

 

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発達トラウマ障害(DTD)の子どもも、間合いが大事

2016-08-16 03:54:02 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
人の痛みを自分の痛みにできる、大きな優しさ
  内省しているから、すなわち、自分自身と対話が出来るから、いろんな人とも対話ができる訳ですね。逆も真なりで、内省してないと、自分自身と対話がありませんから、いろんな立場の......
 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども。友達関係やパートナーとの関係がうまくいかないのは、対人関係の基本形たる親子関係がうまくいかないからです。ですから、親子関係を内面化した良心を手当てすることが大事になります。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.147の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私はコナーには慎重に関わらなければなりませんでしたが、それは、第1に、コナーが私を信頼していなかったからです。「精神科医」に相談しても、コナーはさほど良くなりませんでしたし、コナーは人と関わることが概して苦手だと思ってたんですね。ですから、私はコナーに直には関わろうとはしませんでした。私は、コナーが自分で自分をコントロール出来るようにしたんです。つまり、コナーが私に話したければ、私がコナーに話をしますし、コナーが私とは話したくなければ、コナーをそのままにしておきます。コナーがセラピーをしに来て、私の部屋に座っても、私は机仕事を続けました。私とコナーは、同じ部屋にいただけです。私はコナーにアーしろ、コ~しろ、とは一言も言いませんでしたし、何かを頼むことも1つもありませんでした

 

 

 

 

 

 ブルース・ペリー教授も流石発達トラウマ障害(DTD)の子どもとの間合いをよくよくご存じ。自閉症の子どもとの関わり方と、その間合いのとり方と同じです。パーソナルスペースを犯さないように、関わる訳ですね。

 発達トラウマ障害(DTD)の子どもも、自閉症の子どもも、周りの大人は、土足でパーソナルスペースの入ってくる人ばかりでしたから、そうしない大人がいることに、子どもが「あれっ?」と思う時を待つわけですね。

 

 

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遊びと微笑み 自分を取り戻す時

2016-08-16 03:02:32 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
拡大版の自己中が、「狂気の無責任」を生み出します 改訂版
   透明の絵 本物の見通し2013-08-14 04:06:48 | エリクソンの発達臨床心理 ...>続きを読む  ユングも、エ......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども自分の気持ちの面倒を看るやり方を知りませんから、それを丁寧に教えていくことが必要です。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.356の最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 やり取りをするために、私どもは他にも、鏡になる練習もしますよ。鏡になる練習って、安心感のあるやり取りの基本形です。子ども達は、お互いの、いろんな表情の真似っ子をします。その次は身振り手振り、音の真似っ子に進んで、それから、息を合わせて動くことに至ります。上手に遊ぶためには、お互いに相手をよく見て、相手に耳を澄ませなくっちゃ。「サイモンさんが言いました」みたいな遊びをすれば、みんなは、クスクス、ウフフフ、笑います。この笑いが出れば、みんなが、安心して、打ち解けている証拠です。10代の子ども達が、「おバカな遊び」にしり込みしてたら、「そうだよね」って頷いてから、「小さな子たちに、この遊びを教えてよ、あなた達の手助けが要るんだつて」って、協力してもらいます。

 

 

 

 

 

 鮮やかですね。ヴァン・デ・コーク教授も遊びと微笑みの効用をよくよくご存じですね。

 子どもが心から笑っている時に、その子は“自分“を、取り戻してしているのです。

 子どもが心から遊んでいる時に、その子は“自分“を、取り戻してしているのです。

 

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