「2月中旬」ウツに対する態度が、その生まれ育った人のお天気によって変わってくるんですね。人はいろんなものに影響されますね。でもね、その自覚があるだけで、影響のされ方そのものが変わっ......
群馬大学医学部付属病院で、1人の医者の手術後に、18人もの人が亡くなっていると言いますね。その「事件」の問題を調査した「第三者委員会」は、「患者中心のガバナンスができなていない」と、病院そのもののガバナンス不全を指摘しています(http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2834042.html)。河北新聞(2015.3.5)によれば、この医者は、医者になるべきではない人物とされます。
医者もヒドイけれども、病院もヒドイ、という訳ですね。
これは、群馬大学医学部付属病院の問題だけじゃぁない、と私は感じましたね。
私はこれまでも、何度かこの問題を取り上げたことがあります。
しかし、今日もう一度取り上げたのは、同じ体質の教育委員会と付き合いがあった、からです。
とある教育委員会には、この医者と同様に、教員にならない方が良かった人がいました。その教員は、制度を、子どものためではなくて、身内のものの為に乱用(アビューズ)してたんですね。しかも、それを多くの人たちが知っていたのに、改めることができなかった。子ども中心のガバナンスができない教育委員会だったんです。
教員もヒドイけれども、教育委員会もヒドイ、という訳ですね。
デューイ以前の19世紀型の「旧教育」を、21世紀のニッポンの学校はまだやってたことになりますね。
これを改めるためには、人権と真理を、組織を超えて大事にする態度が必要だったわけですね。それは今でも変わりません。