エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ヤブ医者に、子どもっぽい教師

2016-08-02 12:26:20 | 間奏曲

 

 

 
「2月中旬」
  ウツに対する態度が、その生まれ育った人のお天気によって変わってくるんですね。人はいろんなものに影響されますね。でもね、その自覚があるだけで、影響のされ方そのものが変わっ......
 

 

 群馬大学医学部付属病院で、1人の医者の手術後に、18人もの人が亡くなっていると言いますね。その「事件」の問題を調査した「第三者委員会」は、「患者中心のガバナンスができなていない」と、病院そのもののガバナンス不全を指摘しています(http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2834042.html)。河北新聞(2015.3.5)によれば、この医者は、医者になるべきではない人物とされます。

 医者もヒドイけれども、病院もヒドイ、という訳ですね。

 これは、群馬大学医学部付属病院の問題だけじゃぁない、と私は感じましたね。

 私はこれまでも、何度かこの問題を取り上げたことがあります。

 無責任な私たちに必要な、オリエンテーション

 基本的人権の尊重と患者(子ども)中心のガバナンス

 しかし、今日もう一度取り上げたのは、同じ体質の教育委員会と付き合いがあった、からです。

 とある教育委員会には、この医者と同様に、教員にならない方が良かった人がいました。その教員は、制度を、子どものためではなくて、身内のものの為に乱用(アビューズ)してたんですね。しかも、それを多くの人たちが知っていたのに、改めることができなかった。子ども中心のガバナンスができない教育委員会だったんです。

 教員もヒドイけれども、教育委員会もヒドイ、という訳ですね。

 デューイ以前の19世紀型の「旧教育」を、21世紀のニッポンの学校はまだやってたことになりますね。

 これを改めるためには、人権と真理を、組織を超えて大事にする態度が必要だったわけですね。それは今でも変わりません。

 

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あ母さんの心拍は、触れ合うことで、赤ちゃんの心と脳を育む

2016-08-02 09:49:29 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 

 
「2月中旬」
  ウツに対する態度が、その生まれ育った人のお天気によって変わってくるんですね。人はいろんなものに影響されますね。でもね、その自覚があるだけで、影響のされ方そのものが変わっ......
 

 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども親子関係が、ダンスのように2人がリズムに乗っているものであってもらいたいものですね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.143、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 通常の発達経過では、赤ちゃんは、いろんなパターンに至るリズムに乗った決まったパターンに馴染んでいきます。その赤ちゃんのお母さんは、赤ちゃんがオッパイをに飲んでる間抱きしめてもらって、お母さんの鼓動に慰められます。実際、赤ちゃんの心臓のリズムは、このようなお母さんとのふれあいによって、整えられることもあります。乳児突然死症候群(SIDS)は、ある説によれば、赤ちゃんが大人と身体の触れ合いがないために、大事な感覚刺激がない場合に発生する、とされます。また、ある研究によれば、子宮の中では、赤ちゃんの鼓動はお母さんの鼓動とタイミングを合わせている、と言われます。私どもは是非知っておきたいことは、お母さんの心拍は、パターンのある繰り返しの合図になる、ということ、その合図は、音ですし、振動ですし、触れ合いですが、脳幹を組織立てる時になくてはならないこと、そして、神経組織を整える大事なストレスでもある、ということです

 

 

 

 

 

 ですから、仕事や研究で、赤ちゃんをホッタラカシにするネグレクトがあると、いかにその赤ちゃんに残忍な結果になるか、お分かりですね。

 

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発達トラウマ障害(DTD)のセラピーは、徹頭徹尾、クライアント中心です

2016-08-02 07:14:10 | トラウマを負う≪本当の自分≫を取り戻す

 

 

 
軽蔑と自己嫌悪
  ≪究極の見通し≫が非常に大事なことがお分かりいただけたと思います。日本人は一般的に、それがないのが弱点です。 The life cycle completed 『人......
 

 

 Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self   consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること  意識、脳科学、治療』の翻訳。 発達トラウマ障害(DTD)のセラピーでは、見通しのある環境がセラピーのalphaであり、Ωなんですね。

 最終章の第7章、p.279の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 臨床家も、クライアントの信頼が育ってもらいたいと願います。それは、クライアントがどの程度信頼できるのか、いまここで、どの程度変わる余地があるのか、をいつでも、差し向かいで、大事にすることを通して、信頼を育てる訳です。臨床家はクライアントがその時点で出来ないことは求めませんし、回復過程が辿る時と道に関する、それでもの経験を横に置いておく訳ですね。代わりに、それがどんなものでも、クライアントが変化する余地を大事にするんです。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)のセラピーが、いかにクライアント中心であるかが分かりますね。ですから、臨床の場が、学校であろうと、病院であろうと、療育施設であろうと、子ども中心、患者中心のガバナンスが必要です。

 

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攻撃性って、本当は素敵なもの 津久井やまゆり園の事件の後でも

2016-08-02 06:10:41 | 聖書の言葉から

 

 

 
「ダヴィデに」
  「二月六日、木曜日にダヴィデが死んだ。」この一文で始まるエッセイ「ダヴィデに」は、5ページほどの極々短いエッセイです。しかし、ここには、人間にとって、非常に大事なエッセ......
 

 

 津久井やまゆり園の事件では、攻撃性がいかに残忍なものなのか、が見せつけられた感じですね。攻撃性ほどダメなことはない、と一般にも信じられています。

 しかし、エリクソンに学んだ私は、全く別の見方をしています。実際に、そのように考えてサイコセラピーをした方が、圧倒的に良好な結果が出ています。

 今朝も、Erikson, E. H. (1977).  Toys and Reasons: Stages in the ritualization of experienceNew York: W. W. Norton. から。P.56から。

 

 

 

 

 

 根源的でいて、しかも、ほとんど無垢な「攻撃性」のおかげで、日常生活のなかに、あらゆる活動が、イキイキとしたものになる訳ですし、同時に、あらゆる活動が、陽気で楽しいものにもなるんです。攻撃性は、単純に、森羅万象、成長する生き物のまさに生き方に属しているものです。実際に、ラテン語で、aggredere、アグレディーレ、とは、何よりも、陽気で楽しいやり取りを求めて、物や人に歩み寄ることを意味するのです。

 

 

 

 

 

 攻撃的な子どものことで、親や教員の相談を受けた時に、私は、このエリクソンの件をご紹介することにしています。そして、次のようなお話をするようにしています。

 「赤ちゃんで、打ったり、蹴ったりする人はいませんでしょ。赤ちゃんは、なめるか、なでるか、泣くくらい。その時に、周りの大人が赤ちゃんに答え続けていれば、打ったり、蹴ったりするような子にはなりません。

 ところで、人に振り向いてほしい時に、肩を、トントンと軽く叩いたとします。それで振り向いてくれればいいですけれども、それで振り向いてくれない時には、もうちょっと力を入れて、トントン、と叩きませんか? それで振り向いてくれたらいいけれども、それでも、振り向いてくれなければ…? 

 最初は、陽気で楽しいやり取りを求めて軽くたたく感じだったものが、相手が振り向いてくれないことで、いつの間にか、打つ、殴るレベルになりますね。それが、『攻撃的』と呼ばれていることの、真実の姿です」

 津久井やまゆり園の事件の「犯人」も、教員の父親や、母親などから、振り向いてもらえないネグレクトの人生を歩んできたはずですね。

 

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