≪私≫は、大事な母なる≪他者≫が繰り返し継続的に世話してくれるから生まれるのです。第六弾もうすでにお判りでしょうね。ここでもエリクソンとフロムはシンクロナイズドしているんですね。エリクソンはが「日常生活の中の礼拝」を大事にしますよね。それ...
以前このブログで「「腑に落ちない」をゴマ化さない 吉本隆明さん」と題して、第二次世界大戦を日本が戦ってる時、戦おうとしている時に、吉本隆明さんが感じた「腑に落ちない」感じを考えたことがありましたね。覚えておられますか? 吉本隆明さんは、その「腑に落ちない」感じをホッタラカシにしておいた。それで、あんなにも愚かしくも、残虐な戦争に巻き込まれてしまった訳ですね。敗戦後、戦争中の反省の一番として、タイトルにあったように、「腑に落ちない」感じをゴマカサナイことを、吉本隆明さんは、ご自分の思想形成の要にした訳ですね。
その吉本隆明さんの影響を非常に受けていると公言する、高橋源一郎さんが、今月の朝日新聞の「論壇時評」で、女性や高校生や漫画家たちが、感性が、男や大人や会社員よりも強い人たちですが、戦争に突入しかねない時代状況を敏感に感じて、それに「なんか変だ」と感じてること、そして、声を挙げていることを、” 良い感じだ “と、記してましたね(「「外注」した政治 戦後70年 いま取り戻す」、『朝日新聞』12版▲ 27, 8, 2015, p.17)。これも基本は、吉本隆明さんの「腑に落ちない」感じをゴマカサナイ、ということに通じてますね。
「自分の感じに従って、行動を始めること」。「腑に落ちない」感じをゴマカサナイで、女性たちや高校生たちや漫画家たちが発言し、行動をしていることですね。それは心理学的に、何かあるんでしょうか?
始めることは、英語で言えば、beginやstartだと思っている人もいるでしょう。もちろん、これは間違いじゃぁ、ありません。でもね、それだけじゃぁ、ないんですね。もう1つ、initiateもあります。イニシャル initialと言えば、名前の最初の文字でしょ。その動詞形のinitiateには、何かを始める意味があります。あるいは、◎◎会や組織に「入る」場合も、initiateを使うようですね。この形容詞 initiative 「自分の感じに従って、行動を始めること」を心の発達の重要な転機としたのが、エリクソンでしたね。a sense of initiative 「自分の感じに従って、行動を始めること」は、「自主性」とか「積極性」と翻訳したんじゃ、分かりませんでしょ。エリクソンは、人生は、≪私≫という感じ a sense of ' I ' の展開と考えたわけですから、自分が感じていることを何よりも大事にしたんですね。幼児後期、3才位から6才位まで、幼稚園の頃ですね、そのころに身に着けたほうが良い心理特性が、「私の感じに従って、行動をはじめるのが良い感じ」a sense of initiativeですね。
これについても、以前このブログ「国立市から 改訂版」で取り上げています。吉田都さんが吉田都さになれたのが、まさに、私の感じに従って、行動をはじめるのが良い感じ」a sense of initiative のおかげでした。
私どもも、真の日本市民になるために、いまこそ、「私の感じに従って、行動をはじめるのが良い感じ」a sense of initiativeを発揮する時ですね。