NHKスペシャルの「あるひきこもりの死」を見て、やるせない気持ちになった。
強制的な、措置入院みたいな事して命を救う事はできなかったのかと。
法的に難しいなら法律変えなきゃダメじゃない?
ほっといたら死ぬかもしれない人を、ほっとく法律なんておかしくない?
それに、
ひきこもりの人を
助けようとしているのに応じないからと、
勝手に、自分たち目線で、
「支援拒否」って、言うけど、
それはあくまで支援者側の言い分だと私は思う。
支援を拒否しているんじゃなくて、
受けたくても受けられないような、心理状態にあるだけかもしれないのに。
支援を受ける事自体が、受けない事の、苦痛を上回っているからかもしれないのに。
「どうして、命の危機が迫っているのに支援を拒否するのか?」って、
そんなこともわからないの?
当事者から見たら、どう見えているのか
私の体験からくる想像だけどこれから当事者の目線で書く。(私は「ひきこもり死」していないからあくまで私の考えにもとづく想像だけど)
たぶん、
「支援は受けたいし助けてもらいたいし、立ち直りたいけど
あなたから支援を受けるのは嫌なの!
あなたから支援を受けるのがつらいの!
それなら、まだ、一人にしてほうってもらった方が私は楽なの、
あなたの世話になるくらいなら死んだ方がマシなの」ってことではないかな?
でも、当事者は優しいから、せっかく来てくれる人にそれが言えない。
当事者だって支援者を選ぶ権利はあるのに、
勝手に担当が決められて、勝手にあてがわれた人が、
いきなりこちらの領域に踏み込んで来て、かかわろうとする。
誰だって、人は相性といつものがあるのに、そんなの無視。
いちど担当になったら、ずっとその人。
こちらは支援者の人を選びようがない。
第一、元気な体で、
当事者を支援に来る仕事してお金もらって、公務員みたいな安定して働いている人になんか、こちらの気持ちなんかわかるもんか!と
私なら思う。
自分を支援としようと来る支援者とさえ、自分を比べて、当事者はよけいつらくなる。
だから、支援者と会うと余計落ち込むし、つらいから
そんな人たちにはなるべく会いたくないし、話したくもない。
元気に働けている人たちから、
上から目線で言われたくない。
あきらかに、対等な関係ではないから、よけいみじめになる。
サラリーマン的に仕事だからと支援に来る人になんか、
私の苦しみなんか理解できるわけがない!
そんな人たちが、自分たちの都合のいい時間に、いきなり来てほしくないから、こちらが調子が悪い時は早く帰ってほしいの!
でも、本当はもっとお節介に助けてほしい。
もっと強引に助けてほしいの!
簡単に帰ったり引き下がったりしないでほしいの。
見捨てないでほしい。
できれば、支援にかかわる人は、
若くて元気で、働いているような人ではなく、
過去に同じひきこもりの状況があってから立ち直った人とか、病気や怪我で苦労した人とか、
まずはそういう経験がある人と専門家で組んで来てほしいの。
こちらも、そういう、同じ苦労をして乗り越えた経験のある人なら、理解してもらえるかも?と心開けるから。
そんな事、当事者が考えているなんて普通は想像できないでしょ?
私はそういうこと想像しちゃうんだけど。
だから、あなた達からだけの目線で一方的に「支援拒否」だなんていうのよ。
まずはその言葉から考え直さないと!
当事者側から見たら、「拒否」じやなくて「不可」なの。
「あなたの支援は私から見たら不可」なの。
あなたの支援がこちらの合格点に達していないの。
「誠に残念ながら、私の支援担当者としての採用には至りませんでした。」ってことなの。
それでも見捨てない気持ちがあるのなら、
勝手にこちらを「支援拒否」と決めつけて、
そのまますぐひきさがって、
すぐ帰らないでほしいの!
人を変えて欲しい。
別な人をよこしてほしい。
その事業所にいる人材の何人かをとっかえひっかえよこしてみて。
相性があって心を開く人がいるかもしれないから。
何人も何人も人を変えて、来て!
そうすれば、もし、少しでも心開けそうな人が来たら、実は強引にでも、助けてほしいの。
その人の丁寧な支援なら、落ち込まず従えると思うから。
支援はいらないというのは、その人を試しているの。
児童養護施設施設から里親に引き取られた子が里親を困らせて、「お試し行動する」みたいに
本気でこちらを救おうとしているのか?その気が本当にあるのか?と試しているのかもしれない。
仕事上で義務的にやっているなら、こちらからお断りだと。
そんな人の支援を受けてますますみじめに感じて落ち込むぐらいなら死んだ方がマシだと。
当事者の気持ちは、もしかしたらだけとこんな風なことではないかな。
NHKのアンケート調査で、ひきこもり支援者側が、7割も、困っている事が、
「当事者の支援拒否」と捉えている段階で、
もうこりゃダメだと私は感じた。
「拒否」じゃなくて、当事者にとっては、
支援という名の、
さらなる苦痛や嫌悪から逃れるための一時的な行為だと、私は思うから。
脳脊髄液減少症の私を、多くの医師や専門家が、自分目線の考えで、いろんな病名つけたり、私の精神的な弱さのせいにしていたけど、
全く別な視点で私をみた医師が、私の抱えた問題の諸悪の根源が、脳脊髄液減少症だと見抜いて、
適切な支援をして回復に導いてくれたように。
私という同じ人間に起こっている同じ問題でも、人の見る角度、考え方によって、勝手にラベリングされ、全く、支援につながらなかった経験と、適切な支援につながった経験。
その、両方の経験から、
ひきこもり支援の解決の糸口も、視点を変えて考えないと、見えてこないんじゃないかな?
と思うんだけどな。
こんなこと、普通、支援者側では思いつかないかもね。
脳脊髄液減少症もね、
「脳脊髄液はそう簡単には漏れない」
「低髄液圧はあっても極めて稀」
という、古い常識にがんじがらめにされてた多くの医師が気づかなかったし、
今も、疑いの目で見る医師もいる。
ひきこもり支援も、いままでの常識を取っ払わないとダメかもね。
たとえば、不登校やひきこもりとされている人たちの中に、
脳脊髄液減少症患者が見逃されているかもしれない、とか、
「支援拒否」を無くすには、「支援拒否」という自分たち目線の言葉を使うことからやめる、
くらいの、斬新な発想の転換、逆転の視点も、支援者たちには持ってもらわないと、
これからも「ひきこもり死」は防げないでしょうね。