脳脊髄液減少症が、私の人生に何をしたか書き残さないと、
このままでは死ねない。
でないと、同じ交通事故被害者の脳脊髄液減少症患者でも、
最近発症の患者と、
昔発症の患者では、
その苦しみの期間も量も質も全然違うと思うから。
昔は、脳脊髄液が漏れるなんて病名の概念がない時代。そのころだって交通事故はあったから患者はいた。
当時は車のエアバックも、
病院の検査機器のMRIも、普及していなかつた時代。
今よりもっともっと、患者の苦しみは医師にも家族にも理解されなかった。
そんな時代、患者がどんな体験をしたかなんて、当時の状況を知っている患者が高齢化して誰も何も言わないまま死に絶えたら、後世に伝わらないから。
今は、数は少なくても脳脊髄液減少症の治療医師もいる。
脳脊髄液減少症の存在を否定しない医師も増えてきた。
今は、車のエアバックも普及し、
MRIも、総合病院なら全国どこにでもあるのが当然になった。
そんな時代の現代の、脳脊髄液減少症患者と、
昔発症の脳脊髄液減少症患者の苦しみの質は全然違うのに、
ひとくくりに、同じ病名でくくられてはいたたまれない。
おそらく、最近発症の患者が体験しないですむ苦しみを、
私は経験してきたから、
それをネットだけでなく、紙にすべて書き出すまで、
私は死ねない。
死んでも死にきれない。
★★★★★★