脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

本当に、単なる"ひきこもり"or"不登校"ですか?

2020年12月03日 | つぶやき
ふたつ前の記事、

"ひきこもり"の定義の記事でも書いたけど、

この間、NHKの朝の番組で説明してたひきこもりの定義は、

自室からほとんど出ない。

自室からは出るが家からは出ない。

近所のコンビニなどには出かける。

趣味の用事のときだけ外出する。


という事が6か月続くという事でしたが、
この4つを脳脊髄液減少症患者目線で考えてみたいと思う。

① 自室からほとんどでない。→ 家にいるのは、言葉で説明してもわかってもらえない理由があるのに、  
自分に優しくない家族がいて、家にいる事を責められ続ければ、
自分を家族の非難から守るために
そりゃあ、部屋から出たくなくなるわね。

自室から出るが、家からは出ない。→ 生きるために、食べたり飲んだりトイレに行ったり、入浴したりするために、必要最低限は部屋から出るけれど、

外に出なくても、衣、食、住、なんとか支えてくれる家族がいるなら、
家から出る必要はないから、外にでるのがしんどい人は、
家から出ないのはなんの不思議はないわね。

近所のコンビニなどには出かける。→ 食べたいもの、買いたいもの、読みたいものなど、少しでも意欲がわいている時、
かつ体調も気分もいい時は、そりゃたまには外に出かけたくなるわね。

でも、それを家族や周囲が喜んでくれるどころか、
そんな時だけ出かける=都合のいい甘えたヤツ
と思われるから、内心ビクビクだから、
肩身は狭いし、後ろめたい。

外で知ってる人に会って声かけられるのが嫌なはず。だから夜とか、めだたない時間に出かけるのかも。

趣味の用事の時だけ外出する。
趣味の時だけでも外に出られるならそれだけでも良かったね、と私なら思うけどね。

でも、一般的には、そうは思われない。
これが「主婦」という役割が与えられている人なら、
趣味の時だけ外に出ても「ひきこもり」とは思われないのかもしれないけど、

仕事をしていない成人が、普段は家の中にいて、趣味の時だけ外に出ると、「ひきこもり」とされ、
冷たい目でみられ、問題だとされちゃう。

もし、もし、だよ。

外見の様子だけで、「ひきこもり」とされている人が、
実はなんらかの病気でそういう状態になっているのを見逃されているとしたら?

あまりに理不尽な仕打ちだと思わない?

だって、たとえば、「がん」で入院中の人が、

いつもは個室でぐったり寝てばかりいるのを見ても、

誰にも
「なまけている。甘えている。自立しろ!」とは言われないでしょ?

入院して寝ているだけで、それだけで病気と闘っているえらい人なのよ。

患者が、たまに気分が良くて、体調も良くて、
個室から出て、病院の売店に、買い物に行っても、

「なんだ?欲しいものがある時だけ外に買いに部屋から出て行くのか?
ふだんの、ぐったりは演技かい?

なんだ、やろうと思えば起きて動けるじゃない。
という事は、いつも横になって部屋にこもっているのは、甘えているのか?」なんて、

看護師さんや医師や家族に言われないし、思われないでしょう?

患者がやりたい事があって、
たまに、一人で外に出かけられて、買い物できるって事は、

いつもより気分も体調もいいんだね?よかったね!」って、喜んで暖かく見守ってもらえるでしょう?

患者は患者で、気まぐれに起き上がって売店行っても、

変な目で見られないから、

部屋から外に出ても、うしろめたさも、ビクビク感もなく、
自分が動ける時に自由に外に出るでしょ?

なのになぜ、「ひきこもり」の人はただでさえ何かのつらい状態にあるのに、

ひきこもる事で、必死に自分の命を守っているかもしれないのに、
「えらいね!」と言われないの?

怠けている、甘えていると非難されちゃうの?

さらに周囲から冷たい視線や軽蔑の目を向けられたり、
叱咤激励だけされて、
適切な支援が、患者みたいに受けられないの?

なんでもそう、医療と福祉の頂点に医師がいて、
医師が病名つけないと多くの公的支援が受けられない。

脳脊髄液減少症も、今もまだ、医師に十分に理解されてはいないけど、

2016年に、脳脊髄液漏出症のブラッドパッチ治療が健康保険適用になってから、存在を否定する医師は減った感じはする。

だけど、厳しい診断基準のせいと、画像診断の限界で、漏れが写らず、ブラッドパッチ治療を保険適用で受けられない人もいる。

その上、脳脊髄液減少症をいまだに知らない現役医師が多く、
「患者の性格のせい」や「こころの病」扱いする医師たちが私の周りにもわんさかいる。

そういう、医師からのさげすみを感じるたび、
医師って、なに様?ってうんざりする。

人を治す人なんだか、
人を繰り返し傷つけて、ズタズタにする悪魔なんだかわからなくなる。

だからね、
見た目は、病人にも怪我人にも見えず、

ただの甘えてる人に見られているような人の中に、
かつての私みたいな人がいる気がしてならないの。

"ひきこもりの人".の苦しみや立場のつらさ、居場所のなさ、身の置き所のなさ、想像してしまうの。

私だって働けていないから家族と食事をする時
「働かざるもの食うべからず」という言葉が頭に浮かんできたりして、
私みたいなの食べていいのかな?と思ったりした。

だからね、
私は、なんとなく、ひきこもりの人たちの気持ちもいろいろ想像してしまうのです。

だけど、どんな当事者も、当事者の世界は、当事者しかわからないから、

どうか、どんな当事者も、そうでない人たちに、伝え続けてほしい。

そうする事で、当事者自身も他の視点に気づく可能性もあるから。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「拒食症を生きる」番組の感想

2020年12月03日 | 本当に"原因不明の症状"ですか?
少し前、
NHK
を見た。

ん?と思った。

いつものように、脳脊髄液減少症患者目線で番組を見たから。

番組ホームページから番組説明を以下に引用する。

10歳から拒食症のレネは「病気の自分でも何かができるはず」と、自身のポートレート写真を撮り始める。巨匠写真家に才能を認められ、各地で展覧会を開き生きる喜びをつかみ始めてきた。しかしその矢先、交通事故で首を損傷。写真が撮れなくなるという恐怖に襲われるようになる…。自身の圧巻の写真とノルウェーの美しい風景でつづった静謐(ひつ)なドキュメンタリー。原題:Self Portrait(ノルウェー2020年)

※「静謐」という熟語をこの文章ではじめて知った。せいひつと読み、しずかでおだかやなこと、らしい。

結局、長年の栄養失調で亡くなってしまう残念な悲しいドキュメンタリーなんだけど。

この人、10歳で拒食症を発症する前、

ブランコから落ちてしりもちつくとか、落馬するとか、
してないだろうか?

と思わず考えてしまった。

それに、やっと前向きになれた時に、交通事故で首を痛めただなんて。

もともと食事が入らず、十分な栄養を摂れていなければ、
全身の筋肉や脂肪も落ち、

首の骨を支える筋肉だって落ちているはず。

ということは、健常者だった私以上に、交通事故による首への衝撃は大きいはずだし、低栄養で体の組織がもろくなっていれば、衝撃にも弱いはず。

ということは、脳脊髄液が漏れたっておかしくないはず。

私が経験した事から考えると、

人間てね、食欲って脳がコントロールしているみたいよ。

私かつて、髄液漏れひどかったころ、臭い嗅ぐだけでムカムカしてご飯がおいしくたべられなかった。

かと思うと、貪るように甘いもの食べまくって太りまくったりしてたことあった。
脳が甘いもの求めてる感じだった。

なぜか、体が苦しいとむさぼるように食べた。あきらかに食べ方が異常だった。
パニック障害みたいな感じでもあった。
今はそんな症状は消えた。

他の脳脊髄液減少症の患者さんも、
ガリガリにやせてたり、
ものすごく太ってたりする
そういう体型の患者さんは、待合室でたまに見かけるから。

もしかしたら、かつての私みたいに、食欲の異常が起きてるのかもしれないって
ずっと前から考えてる。

脳脊髄液が漏れて、脳が不調になれば、食欲の中枢が正しく働かなくなっても少しも不思議じゃない。

けれど、拒食症や過食症と、脳のなんらかの不調による機能障害、って考えで、
たとえば、その脳の不調が髄液漏れ?とか
考える医師は、まずいないと思う。

ましてや、脳脊髄液減少症にまだまだ日本より認知度の低い海外になんか、

そんな事考える医師なんて、1人もいないと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする