脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

「繊細さん」に伝えたい事

2020年12月06日 | 本当に"原因不明の症状"ですか?
どうやら、生まれつきでなくても、

脳といつものは、何かの原因で変化し、
それまで平気だったささいな事に、
過敏になり、
「繊細さん」に変身してしまう事もあるようです。

たとえば、私みたいに、髄液漏れが原因で。

普通の音、光、が苦痛で、外に出られなくなり、
人の話し声さえ耳に普通で、会うのも苦痛になりました。
人の些細な言葉にも過敏に反応し、落ち込み傷つき、怒り、
共感力が過敏すぎて、悲しいニュースや、ハラハラドキドキするテレビはつらくて見られない。

私は、脳脊髄液減少症で脳が過敏になり一時ものすごい「繊細さん」になりましたよ。

が、
髄液漏れを止める治療を何度か受けたら、
音、光、の過敏さはおさまりましたし、

ささいな事で感情が激しく揺さぶられる事もなくなり、怒りっぽくもなくなり、大泣きすることもなくなりました。

人間の脳とは不思議なものです。

同じ音や光でも、脳の置かれた状態によっても、感じ方が変わるようです。

この事は、やがて脳脊髄液減少の精神科分野の研究が進んだ未来になれば、

私の言っている事が、科学的にも医学的にも証明される日が必ず来ると思います。

なかなか世界中の研究者にも、脳脊髄液減少症に関心がもたれないから、

あと、50年くらい先かもしれないけど。

コロナウイルスの研究は世界中の人が自分に関係あるから、みんなが真剣に研究するから、

恐ろしい早さで、解明されてるけど。

脳脊髄液減少症は感染しないし、自分らには関係ないと、皆が勘違いしてるから、

研究が、進むのは、まだまだ先だな。

このクリニックの先生も、脳脊髄液減少症のこと知らないんだろうな。
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ひきこもり支援での言葉づかい

2020年12月06日 | つぶやき
NHKスペシャル 「あるひきこもりの死」
の感想の続きです。

支援者が、当事者たちに介入しようとする時の、言葉使いがタメ口なのが、私はちよっと気になりました。

堅苦しい敬語より、当事者に打ち解けてもらうために、親さを示すためにタメ口になってしまうのかもしれないけど、

私が当事者だったら、支援者にタメ口きかれたら、なんか自分が見下げられているみたいでよけいみじめになって嫌だな。

タメ口だと、自分を見さげて、自分たちは安定した仕事についていて、仕事でやむなく、こんな自分にイヤイヤ関わっているのかと感じちゃったら、

自分をこんな扱いする人の世話になんかなりたくないって思っちゃうな。

それが、「支援の辞退」につながるのかもしれないと思いました。

あくまでも当事者を尊重した話し方で、
人対人で対等に話し、
私は今は仕事でここには来てはいるけど、あなたを心から心配している。 

あなたには元気になって生きてもらいたい。
私はあなたの力になりたい。
だから、私からの支援の提案を受け入れてくれませんか?」

という、支援者の真剣な思いが伝わらないと、支援を受け入れてはもらえないと、私は思いました。

私は病院で、よく、患者として処置を受ける時など、
看護師さんや若い医師に、タメ口で幼児に話しかけるような言葉をかけられる事がありました。

特に、もうろうとしている時や、具合悪すぎて問いかけにちゃんと応答できない時、弱っている時に、そういう扱いを受ける傾向がありました。

つまり、こちらが弱者になって相手に対抗できない状況で、
相手がこちらより優位で強者にあると相手が認識した時、
無意識にタメ口で話されてしまうとかもしれないと何度か感じてきました。

タメ口で幼児に話しかけるように話されると、話せなくてもちゃんと聞こえてるからなんか嫌でした。

老人ホームなんかでもよくある話で、

若い人が、幼児を扱うような言葉づかいで高齢者を扱う事は、あります。

親しげな話し方を嬉しがる人もいるかもしれないけど、

見た目、老人でも、頭がはっきりしている人は、若い子に子供扱いされるのはやはり嫌な人もいると思います。

ALSで体は動かなくなっていくのに頭がはっきりしている人は、
同じように支援者やヘルパーに、幼児のような口調で扱われたりしていたら、
つらいだろうな。

ひきこもりの人にも、高齢者にも、病気の人にも、
健常者の支援者、医療者は言葉づかいに気をつけて、
基本、敬語で話してほしいと、思うのは私だけかな?

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終活

2020年12月06日 | 日記

人生終了活動、つまり「終活」に取り組み出してはや数年。

一向に終活が進まない。

片付けが、脳脊髄液減少症の高次脳機能障害の遂行機能障害と思われる症状で、なかなか手がつけられない。

このブログももう役目は終わったかもと去年は一時閉じようかと思っていたけど、結局、また書き始めてしまった。

ただ、最近散歩中、近くに偶然知らなかった墓地を見つけた。

日あたりがいい墓地で、なんだかそこにいるだけで穏やかな気持ちになり、

ここにお墓たてて入りたいな、なんて思った。
即、その場で電話して問い合わせてみたら、まだ募集しており、無理ではなさそうな事がわかった。

なんか終活が一歩前進した気がした。

あとは、私が皆に、
友達もいない孤独な人、
仕事もせず社会に貢献しなかった人
片付けられず、だらしがない人、
いっつも不定愁訴を訴える神経質な人、
支援を受けようとしない頑固者、

と、家族や周囲や医師から誤解されたまま死んでいくのは悲しすぎるから、

私という人間に、脳脊髄液減少症が何をしたのかを、すべて文字にしてからでないと、
安心して死ねないと思ってる。

ここにはずいぶん書いてきたけど、

まだ、ここにも書けていない事がたくさんある。

それだけが心残り。

戦争で、その人だけが見た光景、体験した事は、書き残さないでその人が亡くなったら、

戦争がない、時代の人には何もわからなくなるように、

脳脊髄液減少症の病名さえなかった時代の脳脊髄液減少症の人たちの経験は、書き残さないと、
最近の患者ばかりの言葉だけが残り、

脳脊髄液減少液の病名さえなかった時代の患者の声などなかったことになってしまうから。
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