この記事を書く前に、「コロナウイルスが社会につたえてくれた事」という記事を書きました。
その中にこっそり書いてある、本の名前をまずは覚えてください。
その上で、これから書く記事をお読みください。
その本の書名と、私の病名は、今回はわけあってあえて記事の中に文字として書かないので、ご了承ください。
私がこのブログで使っている病名(まだ正式には認められていないけど)は、
このブログを始めた2006年当時、この病名は、ごく一部の患者仲間ぐらいしか使っていなかったのです。
もちろん、その頃も、正式な病名として認められていなかったし、
ほとんどの医師たちが、そんな疾患はないと、あざ笑ってた。
数少ないブログを書く患者たちも、当時は私がこのブログのタイトルに使っている病名を使う人は少なくて、
昔から、「非常に稀な疾患」として医師の教科書にも載っていた「低髄液圧症候群」を採用してブログ記事を書き、
限られたブログ書いてる患者たちが記事では略して、「テイズイ」と書き、ブログに書く人が多かった。、
けれど私は、髄液圧が必ずしも低くなくても、髄液が減る事に注目した、「このブログのタイトルに使っている病名」を採用した。
正式に医学的に認められた保険病名でない事を承知で、毎日毎日、記事に意識して入れ込みブログ記事に書き込んだ。
この病名がいつの日か正式に認められる日が来る事を願って。
(しかし今も保険病名としては認められてはいない。)
そんな必死にブログ綴ってた時期、不穏な動きを感じた。
この病名を闇に葬ろうと動き出す人たちの動き。
つまり、いままで、むちうち症で軽症で示談に至っていた人たちの中に、
そんな疾患が隠れていると大変困ると思い込んでいる人たちと、
それに賛同する医師たちの動きを
患者たちは察知する。
それと同時ぐらいに、昨日の記事に書いた一見普通のミステリー本
(実は別な目的が潜ませてあったと私は勝手に思っているあの本)が出版され賞を取る。
それが、誰かの策略かどうかはわからないけど、あまりにもタイミングがよく出版された。
それと同時ぐらいに、私のブログにも嫌がらせコメントが相次ぐ。
患者が、パソコンを操り、絵を書き、ブログを書くなどできるわけがないと、非難もされた。
私は、まだ今よりはるかに体調が悪く、症状もつらかったけど、
必死に発信していた。
それだけでクタクタだったのに、嫌がらせコメントは精神的に負担で、そのためブログをやめてしまおうかと思った。
実際、その頃、大好きだった患者仲間がブログを閉じた。
原因は何かはわからないけど。
かわいい絵を書く、大切な患者仲間で、私もそのブログに励まされていた。
その頃、ある事にも気づく。
私のブログが検索で、急に全く出てこなくなったのだ。
当時、この病名でブログ書く人は今よりはるかに少なかったから、
検索すると、いつもトップに出てきていた。
けれど、ある日を境に検索しても全く出てこなくなった。
検索サイト側のアルゴリズムの変更も同時あったかもしれないし、
いい加減な病名で記事書いてる人がいると通告があったのかもしれない。
当時の私の主治医たちが全国の医師たちから、激しくバッシング受けていた時期でもあったし、
患者の私にも嫌がらせコメントが相次いでいた頃だったから、
何かが作用していると思わずにはいられなかった。
そんな事が過去にあったのです。
今回、この記事の中に、一切、このブログ記事のタイトルにある"病名"を入れ込んでいないのは、
どうも、
このブログタイトルにある病名と、
「コロナウイルスが社会に伝えてくれた事の記事に中でも書いた
あの講談社の本の「タイトル」を
同時に入れ込んだ記事は、検索にひっかかりづらいようだと、
昨日ちょっと思ってしまったから。
もしかしてだけど、
過去の失態を、なるべくネット上からも消して、なかった事にしたい人たちが存在しているのかもしれないな、と思った。
単なる想像、妄想かもしれないけど。
で、今回は試しに病名も、あの本のタイトルも入れずに記事を投稿してみた。
でもね、もし、過去の失態を消したくてあの本の存在を隠したい人がいたら教えてあげたい。
失敗をなかった事にしていると、また間違うよって。
失敗を直視して、そこから学んでこそ、その失敗が失敗でなくなり、糧になるんだよ
って。
戦争だってそうじゃない?
過去の失敗から学び続ける事が、平和を保つんじゃないのかな?