このところブログアップをさぼっています。
時期が遅れましたが 満開の桜もう1枚だけアップさせてね。
3月25日の千鳥ヶ淵。
ボートをよく見るとぜ~んぶ 若いカップル!
春うららに誘われ、全国から集まってきたのかも。のどかな光景です。
3月26日、27日は2度目の箱根越えです。(前回箱根越えは こちらをご覧ください)
26日 1日目 JR二宮駅を10時出発
74キロ地点から出発。 道路際には大きなクスノキ。この地域にはクスノキのが多い。
店先で干物。正真正銘の天日干し。朝誰かが釣ってきたのかしら?
住宅で海は見えないが、この辺の海岸は「袖ヶ浦」という。
ヤマトタケルの妻の弟橘姫が海神の怒りを鎮めるため入水し、
その袖が流れ着いた所から「袖ヶ浦」と呼ばれるようになったそうだ。
吾妻神社鳥居。 旧東海道の名残の道標から国道1号線を外れ、旧道に入るが、200から300m行くとまた1号線に戻る。
旧道にはヤマニ醤油の醸造元がある。大釜は何に使ったのかしら?
藤巻寺の樹齢400年の藤。今頃が丁度見頃かもしれません。見事な花が見られそうですね。
天気が良く、民家の庭先も花盛り。
このあたりには男女双体道祖神がとても多い。花が飾られ、今でも大事にされているようだ。
上の段の左側の2体の道祖神の祀られていた場所には、他にも数体道祖神が集められていた。
神奈川宿から藤沢、平塚宿までは庚申塚が多かったが、この辺で庚申塚は1つしか見なかった。
時々海が見える。 小田原市に入った。
浅間神社 桜の開花ももうすぐ。
小田原市のマンホールの蓋。小田原城と富士山、渡しの人足?
この車坂で、太田道灌、源実朝などが歌を詠んだ。
今は民家にさえぎられ何も見えないが、浜辺を片側に、寂しげな風景が、目に浮かぶ。
大山道道標。大山への参詣道。
藤沢の大山道道標にもあった不動明王が鎮座。
(偶然、「東京街角タイムトリップ」という都内の古い名残を訪ねる本を手に取ったら、
三軒茶屋にも大山道があり、その道標に石の不動明王が乗っているとあった。
開発のため、移動を繰り返したが、今も駅前に江戸時代からの道標が残っているそうだ。
この辺に行ったら見てみるつもりです)
昼食は国府津駅近くの「のんき亭」にて。
天ぷらの下に天ぷらがあり海老2尾、野菜が4種類、イカもあり、豪華版。
この辺に手ごろな飲食店が無く、ここは大人気。郵便局のお兄ちゃん達が十数人予約して食事していた。
ランチミーティングかな?
真楽寺は親鸞上人がこの地に7年逗留した時に命名した寺。もとは天台宗の寺であったが、親鸞に帰依し、真宗に改宗した。
ミカン問屋があり店先でいろいろな柑橘類を売っていた。
地元産の清見オレンジを買い皆で休憩の時に食べた。これナント200円。
昭和初期?の建物。たぶん駅前の映画館だったのでは?
両開きの扉と壁面の装飾が そんな雰囲気を醸し出している。
でも裏を見ると、完全な木造。とりあえず前面だけ立派にして・・・・という事だったのだろうか?
興味をひく建物だったが、聞く人もおらず、詳しくはわからない。
酒匂小学校。 校庭にクスの大木がある。
夏になると木陰が涼しそう。緑陰という言葉が似合う大木。
日蓮宗法船寺。五重塔は檀家1300人の寄進で平成元年に伝統工法・総桧造りで建てられた。
これほど立派な新しい五重塔を見るのは初めてだ。
寺の入り口から本堂への参道は八重桜のつぼみが今にも開きそう。
満開の時に見てみたいものだ。
八重桜に松に五重塔・・・実に日本的な風景
いよいよ小田原城下に入った。
この道はかまぼこ屋が多い。というか かまぼこ屋さんだけがある。
この日のおやつは交流館の隣の伊勢屋で買った桜もち。
交流館でお茶も頂き、休憩。
交流館では中年の人たちが出たり入ったりで、少しざわついていた。
福島から来た観光バスが乗用車と接触したらしく、その乗客達がここで待機。
そのうち、パトカーが来て、乗客たちはバスに戻り、急に静かになった。
箱根登山鉄道の箱根板橋駅まで歩き、この日は終了。
湯本駅まで出て、巡回バスにて宿へ。
この日はジンワリ暑くて、自分でも気が付かないうちに足が皆より遅くなっていた。
少しボーッとなったので急いで新たな水を買い、長めの休憩をとった。
仲間も普段は飲まないという、350ミリのカルピスを一気に飲んでいた。
私は軽い脱水症をおこしていたのかもしれない。
歩く時はきちんと水分をとるのが大事ですね。 まだ3月なので脱水症はないだろうと気を抜いていた。
すぐに回復したけど、気を付けなくっちゃ。
浅間神社にて。
1日目終了