監守時代 <1>
1416年北山は
中山尚巴志によって滅ぼされ
1422年に尚巴志は次男の尚忠を
北山監守として北山城に派遣した
北山地域を統治する体制
反乱を防ぐために
監守制度を導入したのである
1429年に、南山も攻め落としたが
監守は置かなかった
そこに北山と南山の対処の違いがある
二代目監守に具志頭王子が任命されたと
伝承があるが不明な点が多く定かではない
北山城、北部地域を管理するため監守設置は
尚巴志王統(第一尚氏王統)の時代と
金丸(尚円)が建てた第二尚巴志王統時代に分けて
第一監守時代・第二監守時代と呼ばれる
第二尚氏に入って代官を交代で
北山監守として派遣する
1526年になると
琉球国三代目尚真王は各地で勢力を保っていた
按司たちを、首里に集め居住させ、
按司掟(あじうっち)を置いて武器を取り上げ
中央集権を強め地方勢力を支配においた
北山城は重要視し特別に尚真王(1477年~16817年)の
三男の尚韶威が派遣された
1665年七代目従憲(1627年~1687年)まで
北山城に監守が置かれた