人生黄昏時

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今帰仁城【9】

2016年04月01日 00時16分08秒 | 日記

  監守時代 <1>

1416年北山は

中山尚巴志によって滅ぼされ

1422年に尚巴志は次男の尚忠を

北山監守として北山城に派遣した


北山地域を統治する体制

反乱を防ぐために

監守制度を導入したのである

 

1429年に、南山も攻め落としたが

監守は置かなかった

そこに北山と南山の対処の違いがある


二代目監守に具志頭王子が任命されたと

伝承があるが不明な点が多く定かではない

 

北山城、北部地域を管理するため監守設置は

尚巴志王統(第一尚氏王統)の時代と


金丸(尚円)が建てた第二尚巴志王統時代に分けて

第一監守時代・第二監守時代と呼ばれる

 

第二尚氏に入って代官を交代で

北山監守として派遣する


1526年になると

琉球国三代目尚真王は各地で勢力を保っていた

按司たちを、首里に集め居住させ、


按司掟(あじうっち)を置いて武器を取り上げ

中央集権を強め地方勢力を支配においた


北山城は重要視し特別に尚真王(1477年~16817年)の

三男の尚韶威が派遣された


1665年七代目従憲(1627年~1687年)まで

北山城に監守が置かれた

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