監守時代 <2>
北山(北の島の意味)は権力の中心としいて
北部地域を統治していた北山城
1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ
北山は政治的に独立国として失う
中山は北部地域を統括するため
監守を置いて支配していく
第一尚氏王統は二代・第二尚氏は五代
北山城に監守を置いたが
1609年に薩摩軍の侵攻によって
北山城は焼失し五代監守克祉は死亡する
北山城の前後にあった
今帰仁ムラと親泊ムラも破壊され
そのため集落は麓(現在の今泊)に移動した
また監守一族もムラ内に移り住む
1665年監守七代従憲のときのとき
監守一族は王府の命により首里に引き揚げた
その後も監守政治は首里に居て続けている
北山城は城主を失い廃城となる
監守制度は240年続いた
その後の北山城は
一代目監守韶威を元祖とする子孫が管理を行う
それから84年後(1749年)に監守制の経緯や
首里に引き揚げた事情
北山城を永代に管理し続け礼典を司ることを
首里王府より許可されたことなどが城内に
「山北今帰仁城監守来歴碑記」として建てられている