人生黄昏時

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久米三十六姓【3】

2016年06月15日 00時02分16秒 | 日記

 久米村を「くんだ」久米村人「くんだんちゅ」と呼び

流球は「くんだんちゅ」によって

朝鮮、東アジア、東南アジアとの中継貿易よって

一時代を築き繁栄を極めた

 

それには中国明朝の朝貢冊封体制よる

海禁政策によって民間人の海上貿易を禁止し

正式な朝貢使節とのみ交易を行う

政策によって琉球は中継貿易として存在し、存在を増していく

 

中国明朝は、琉球を通して必要としていた

東南アジア、日本産品を入手していた

そのため琉球を重要視し海船も下賜し(30隻以上)

修理もしたと「歴代法案」に記述されている

 

流球は、1550年代には最盛期を迎える

 

1567年に中国の海禁政策が廃止され

中国の海商人が続々と、東南アジアへ進出し

西洋諸国もポルトガル、スペイン、オランダ

などもアジアへ貿易のため進出してきた

 

流球の中継貿易として失われ流球国は衰退していく

それに合わせて久米村も衰退し荒廃していき人口は激減した

 

1606年尚寧王の冊封のため来流していた

夏子陽は六家のみと記録している

コメント (1)
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