人生黄昏時

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久米三十六姓【4】

2016年06月20日 00時02分23秒 | 日記

 中国明王朝の海禁政策の廃止

西洋諸国のアジア進出などで

衰退した琉球久米村は

 

1609年に薩摩軍が侵攻して

流球国は政治的独立失うが

薩摩の支配の中で琉球は

中国明朝との君臣関係を保ったまま

薩摩の政策監督によって

冊封朝貢交易を維持し推進して行く

 

王府は荒廃した久米村を

朝貢関係を維持する復興強化を図る

身分の保証、中国への官費留学

経済的優遇策などの特権も与えられた

荒廃していた久米村は往時の繁栄を取り戻した

 

諸外国との貿易を背景とした

久米三十六姓は政治的、経済的に

その地位は極めて高く大きな影響を与えていく

 

流球国の正史である、中山世監(1701年)を

編纂した蔡鐸や多くの政治家、三司官の鄭迵、祭温

王府の要職、学者、教育家など久米村から排出して

流球の発展に寄与していった

 

そうして久米村を朱明府と呼ばれるようになる

朱明府と呼ばれた、三十六姓によって

流球が廃藩置県になるまで

約500年の間、外交、貿易に従事した

コメント (1)
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