人生黄昏時

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久米三十六姓【1】

2016年06月05日 01時07分47秒 | 日記

 久米三十六姓とは

今から約620年前察度王(1350~1396)の時代

中国の明朝洪武帝の時代に、閩から渡来し

浮島と言われる一角に居住し久米村を作った

浮島は、国場川、久茂川、安里川と海に面した島である

 

閩とは現在の福建省の古名で

三十六姓とは漠然とした数字で

大勢の人が閩から渡って来たため

久米三十六姓と呼ばれた

 

流球の正史と言われる、中山世譜(1701)に

1392年中国明朝洪武帝より他の下賜品に加えて

閩人三十六姓を賜ったとの記述があるが

しかし、中国明側の同時代の史料である「明実録」

等にはこうした記録が無いと言う

近年では研究者の間では、三十六姓の

下賜説については疑問視している

 

一般的には察度王の時代に中国明朝との

冊封体制関係に入り交易、商売目的に

中国、琉球間を往復しているうちに

居住し定住したとされている

その後も随時琉球に渡来してきている、と

 

流球は交易立国として

対外貿易、外交文書の作成

通訳、造船、航海術などを担う専門職能集団として

中国、東南アジアとの外交貿易などの交渉を遂行し従事した

 

流球は中継貿易によって大いに繁栄する

この繁栄は、久米三十六姓によって成し得た物である

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