沖縄が最初に歴史に記されたのは
636年中国の歴史書「随書」(ずいしょ)に
琉球の初期の表記である「流求」と記述がある
また、沖縄と初めて記されたのは、753年遣唐使一行が
遭難し阿児奈波島(おこなはじま)に漂着したと
鑑真の伝記「唐大和上東征伝(779年成立)」に
「おきなは」の語が初めて、「おこなはじま」と表記されている
沖縄は「おきなは」の当て字と言われている
沖縄は12世紀頃から各地に大小様々な按司(領主)が誕生し
グスク(城)を築き割拠していた
13世紀に入ると、各地の按司を束ねて
強力な三つの勢力にまとまっていった
北部地域を北山城へ、中部地域では中山城へ南部は南山城へと
これが三山時代で100年余続いていく
中山の察度按司が琉球で初めて中国明朝の冊封体制を受け入れ
1372年に朝貢関係に入る、1380年に南山の承察度按司
1383年に北山の怕尼芝按司も冊封体制を受け入れた
良津(港)を所有していた三山は積極的に交易を行い
経済力、軍事力に伴い勢力を拡大して行く
1405年、察度按司の二代目武寧は悪政を行っていたため
佐敷按司尚巴志が攻め滅ぼし、父尚恩招を中山に按司に就ける
1421年父の死により、尚巴志が中山按司に即位する
1416年北山攀安知按司を攻め滅ぼす
1429年南山他魯海按司も攻め滅ぼして三山を統一した
琉球最初の統一国家が成立、第一尚氏王統の始まりである