東シナ海の中心にあった琉球は地の利を生かして
中継交易によって、1550年頃最盛期を迎えた琉球国
1567年に中国明朝は海禁政策を廃止した
中国の海商人は続々と東南アジアへと進出していった
また、西洋諸国もアジアへ進出し貿易の拠点を構えた
中国の海禁政策の上に成り立っていた
琉球の中継貿易は失われ経済は衰退していく
1609年七代尚寧王のとき、薩摩藩の侵攻を受け
琉球は薩摩藩の支配下に入り政治的独立をも失う
琉球は薩摩藩の府庸国となり、薩摩藩への貢物を負い
中国明朝にも朝貢を続け、薩摩藩と中国との両属という体制をとり
琉球は独立国家として体制を保ち
朝貢交易の実権は薩摩藩が握り間接支配をしていった
それから、奄美諸島は薩摩藩の直轄地となり、琉球から分離された
また、江戸幕府に使節を(江戸上り)派遣する義務を負うことに成り
1634年から、江戸時代末期の1850年までの間に
18回行われた、随行員は100人前後であったといわれている
6月ごろ出発し11月頃江戸に着きⅠ~2ケ月ほど滞在し
年が明けてから江戸を出発して
ほぼ1年掛りの長い旅であったと記録がある