三山を統一し琉球最初の統一国家を成立した
尚巴志は首里城を拡張、整備し王家の居城とした
那覇港を整備し、中国始め朝鮮、日本、東南アジアとの
交易時代の基礎を築いた、そして、文字文化をも発展させた
王府は、統一を成したが諸按司の勢力が強く有効な中央集権化政策を
実施することが出来なかった
王族内部の、志魯と布里の王位継承争い
護佐丸と阿麻和利の内乱や、外征(1446年喜界島に侵攻)などが続いた
尚巴志王統は、不安定ながら七代64年続いた
三代から六代まで尚巴志の子で、何故か王位は短命であった
六代尚泰久王の時、大世通宝と言う銅銭を造り、1458年頃万国津梁の鐘を造った
1462年尚泰久王の重臣であった、金丸(後の尚円王)が
七代尚徳王の死に伴い、王位を継承して第二尚氏王統(第一尚氏と血縁関係なし)の成立
正史では重臣たちの推挙によって即位したと記されているが
クーデターによって王位を奪ったという根強い説がある