尚泰久王の子尚徳王の死に伴い
1469年尚泰久の重臣であった金丸が王位に就き尚円王と名乗り
第二尚氏王統の始祖となった
19代 410年(1469年~1879年)続き琉球国を統治した
尚円王の子三代目尚真王(1477年~1527年)の時
地方の按司を王府のある首里に居住させて、武器を取り上げ
中央集権体政と祭祀一致政策を行う
各地にあった祭祀、神事を整理し、ノロ(神女)の組織を整備し統制化した
地域全体のノロを統括する大阿母(おおもも)とし
その上に聞得大君を置いた、琉球全土の ノロ・神職の頂点に立つ存在である
最初の聞得大君は、尚真王の妹である
祭祀制度を制定し階層化して、王権を不動のものとなる
北は奄美諸島から南は先島(宮古・八重山・与那国)諸島を軍事で平定し
広大な海域を支配する、国家を築いた
中国との朝貢交易を中心に日本・朝鮮・東南アジアと広く交易を行い
琉球国は 1550年頃には最盛期を迎える。