人頭税 <2>
人頭税は15歳から50歳までの全ての島民に
収入のある、なし、に関わらず一定の納税をしなければならなかった
島民にとって過酷な人頭税システムであった
納税は全て物納での納税であった
男は穀物(主に粟)海産物などで、女性は織物を王府は求めた
そのため集落ごとに、宮古上布を織る施設方言でブンミヤーが設けられた
ブー(糸)、ンミ(績)、ヤー(屋・建物)糸績屋と呼ばれる
工房と染め屋が設けられ手積・織り・染めの分業制で
島の女性は朝早くから陽が落ちるまでブンミヤーに詰めて
半強制的な環境の中であった
仕事は役人の監視の中厳しい品質管理体制で
何度かの検査を受け合格して初めて貢納布として認められた
人頭税の過酷さを物語るエピソードは数多く残されている
個人の能力、体力は考慮されなかったため
嬰児殺し、滞納者への厳しい罰則、債務が増え奴隷のよう名子(なぐ)
他島への逃亡など、人頭税にまつわる悲劇、伝説、民謡、遺跡など
数多く語り継がれ歌われている
上地め主ぬ布納みアーグ・石嶺のあこう木ぬアーグ・豆が花アーグ
人頭税廃止のアーグなどの民謡として歌われ残っている
過酷な人頭税制度は1637年に始まり
実に266年続いて1903年(明治35年)に廃止になる
廃止のために、新潟県出身の中村十作、沖縄県出身の城間正案
島民代表の平良真牛、西里溝の4人の大きな働きがあった
琉球国は、1879年(明治12年)に沖縄県になるが
沖縄人自ら(政治家)人頭税廃止に
働きかけたと言う事はなかったといわれている・・・?