人生黄昏時

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八重山 【7】

2017年03月20日 00時01分43秒 | 日記

   オヤケ アカハチの乱 <3>

 オヤケ アカハチ(遠弥計赤蜂)は波照間島の生まれで

石垣島大浜村に居し最大の勢力を誇っていた

 

八重山諸島では石垣地域は長田大主

川平地域では仲間満慶山

平久保地域は平久保加那

西表島では平家落武者の子孫と伝えられている慶来慶田城用緒

(平家の落武者来島は1185年頃と言われている)

波照間島は明宇底獅子嘉殿が

そうして与那国島では女首長サンアイ・イソバが

それぞれの地域で割拠していた

 

その中でアカハチが最大の勢力を誇り、それらの勢力はアカハチに従った

石垣島周辺を手中にし、竹富島・波照間島・小浜島なども勢力下においた

 

しかし1500年琉球王府軍が石垣島を侵攻したとき

アカハチを支持した首長は一人もいなかった

アカハチに従ったのは、島民だけであった

 

アカハチ軍は奮闘虚しく王府軍に敗れ

アカハチとその妻と一族すべて処刑された

 

琉球の史書には逆賊とされているが

八重山においては、島民の先頭に立って権力に立ち向った英雄として

現在も語り継がれている

 

石垣市内大浜の崎山公園にアカハチの碑が1952年に建立され

2000年オヤケ アカハチの500年祭で像と妻クイツバの碑が建てられて

500年の時を経て夫婦の碑が並び建てられた

コメント (1)
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