人生黄昏時

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八重山 【8】

2017年03月25日 00時02分40秒 | 日記

   人頭税 <1>

 人頭税とは、先島諸島だけに1637年から導入された税制である

八重山諸島における人頭税は

1636年に倹池(人口)調査が行われ

翌年1637年から人頭税は導入された

 

そのころの八重山の人口は約5500人であったと言われている

納税量は2660石余とされ

納税者は約1800人、頭割りで課税が決められた

 

課税の方法は

各村を上村・中村・下村・下下村と区分し頭懸(正頭)と言われた

納税者を、上男女(21~40歳)、中男女(41~45歳)

下男女(46~50歳)、下下男女(15~20歳)と区分して

両方合わせて納税量が決められた

納税はすべて物納であった

 

税は板札で告知され、島民はワラ算やカイダー字で記録した

男は約一石八升余の米、女は五反の反布を納税とした

また、二十日オーデーラと言う労働も強いられた

 

当時の状況は収穫量には自然に左右された

台風や干ばつ、鳥獣、虫害などの被害が頻繁にあり

収穫量が思い通りになくても

決められた納税量は納めなければならなかった

 

人頭税は島民にとっては厳しく過酷であった

そのため堕胎の間引きや、他の島などへ逃亡などがあった

滞納者への厳しい罰則などがあり

人頭税にまつわる悲劇の伝説、石碑、民謡など数多く伝承されている

 

人頭税はいかに過酷な税制で

八重山諸島の人々が搾取されて差別されていた

 

この過酷な人頭税は1903年(明治35年)まで

実に266年の長きにわたって続けられた

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