人生黄昏時

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八重山 【3】

2017年03月01日 00時02分29秒 | 日記

 八重山諸島は、14世紀頃まで記録された歴史書はほとんどない

 

八重山諸島の古代史は発掘された遺跡などから

有土器時代と、無土器時代に分けることが出来る

 

八重山では何故か土器を持った人が初めに渡来(紀元前2000年頃)し

その子孫絶滅したのか、移動したのか

その後空白(約800年)の時代があって

 

無土器時代が始まり、12世紀頃まで続いたとされている

通常では無土器文化があって、有土器文化となるのが当たり前と思うが

何故か八重山では逆になっている

 

日本・沖縄本島では縄文時代・弥生時代の

痕跡があるのに対して八重山諸島は異なって

沖縄本島との歴史とは無関係となっている

 

有土器時代は遺跡より土器が多く出土している

赤褐色して赤色土器時代ともいわれる

 

東南アジア・中国南部あたりから人々が、来島したと考えられている

無土器時代貝塚から、焼石蒸焼き料理に用いられたと考えられる

多数の焼き石、貝製貝斧が出土している

土器を持たない人々が東南アジア方面から

黒潮ルートに乗って八重山諸島に渡って来たと考えられている

 

また、無土器時代の遺跡から

「開元通寶」の貨幣や鉄器(船釘や鉄さく)など出土している

開元通寶は、大和朝廷が六二一年製造した貨幣である

 

沖縄史書には記録はないが、714年続日本書記に「信覚(しがき=いしがき)」

奄美・球美(くみ)などの人々52名が太宰府に来朝したと記されている

 

信覚(しがき=いしがき)は石垣島を指すといわれ

球美(くみ)は久米島ではないかといわれている

八重山は古い時代から日本との交流があったと考えられる

 

また、1185年に平家の落武者が八重山に来島したと伝えられ西表島の

慶来慶田用諸按司(1500年頃)は平家の落武者の子孫と伝えられている、、?

コメント (1)
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