仲尾次政隆 <5>
政隆の尽力によって宮良橋は完成した
その時、島民は喜び盛隆を称え謠を作った
仲尾次主(シュー)ヌウ陰(カギ)ニ ~ 仲尾次様のお陰で
宮良(メーラ)大川(ウーガー)ヤ ~ 宮良大川に
宝橋カキティ ~ 宝のような橋が出来
見事(ミグトゥ)デムヌ ~ 見事なようすです
宝橋上(ウイ)カラ ~ 宝の橋の上から
通(カ)ユルヒトゥヤ ~ 通う人々は
眼眉(ミマユ)打チ張(ハ)リティ ~ 目眉が生き生きとして
笑(ワラ)イフクイ ~ 笑顔に満ちている
以下略する
また、頌徳碑と言う石碑も建っている
隆盛の赦免運動を官民上げて行い、嘆願書を王府に提出され
終身流刑だったが、1865年に放免となった
実に11年の流刑で那覇泉崎に戻り
政隆は6年後1871年7月8日、65歳で永眠する
仲尾次政隆は信仰に基づく実績と活動は評価される
無期流刑の中にあっても、信仰は深められ
信仰者として社会実践は奇跡であると
伊波普猷は著書の中で述べている