僧侶は修行仏学や法学を学ぶため、京都や鎌倉などので
当時の最先端の学問を学び身に付けていた
僧侶は高い学識があり和漢の兵書も知り
そのため国の貿易・外交官の役割を果たし
政治に関与して、王府も僧侶を重要しした
ところが薩摩藩が沖縄を支配し那覇に薩摩藩の
在蕃奉行所が置かれ、約二十人が在勤していた
薩摩と王府は直接役人が交渉を行うようになり
仏教界は政治、貿易などの国政に参加する機会を失っていく
そのような状況の中で僧侶は
王族の祖霊祭祀、菩提の弔い
国民の安泰の祈願などの神事、祭祀、行事などを行っていた
また、その頃から日本文化が入り盛んに成り
それに伴い官使の子弟への、仮名文字
漢字の読み書きなどの教育を行うようになる
また、官使に成るために必須であった
茶道・華道・書道など教養として教え
士族層との、深い関わりがあったため
僧侶は非常に尊敬を集めた