人生黄昏時

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沖縄の仏教 【28】

2017年12月05日 00時05分46秒 | 日記

  備瀬知恒とは

1854年禁制の浄土真宗を信仰し布教した事で

検挙され石垣島へ終身流刑となった仲尾次政隆の後を継いで

 

浄土真宗を信仰・布教し王府に発覚し検挙され

備瀬知恒も、石垣島へ10年の流刑となった

 

仲尾次事件から、22年後、1876年10月の事である

備瀬知恒は那覇東村の出身」で浄土宗の熱心な信者で

仲尾次の布教によって帰依したと云われている

 

仲尾次事件の時は奄美大島に滞在していたと言う

1861年頃帰郷し布教を再開した

 

中山国尼講と称する信徒達の(主に遊女)を中心に組織されていた

しかし急激に信徒が増えたことが災いし布教が発覚した

 

1877年10月に、備瀬以下300人以上が検挙され処罰された

備瀬は中心人物として、石垣島へ、10年の流刑となった

 

1877年石垣島へ送られる途中、難船し殉教した

備瀬知恒、亭年59歳であった

 

沖縄の浄土真宗は、1597年に薩摩藩によって禁制となり

激しい弾圧を受けた

 

1876年(明治9年)に禁制が廃止され、実に300年に渡り続いた

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