南陽紹弘
南陽紹弘は臨済宗妙心寺派の教を広く沖縄に伝えた
信仰者として実践活動して、生き仏と称された
俗に北谷長老とも呼ばれた
南陽紹弘は北谷玉寄席村(現北谷町)に生まれ
十三歳の頃に出家し、十九歳の時
日本に渡り幾多の寺院で修行した
三十五歳頃、睦奥国松島(宮城県)の瑞厳寺で
約四年仏学・修行を行い臨済宗妙心寺派の嶺南崇六より
仏法の奥義を受け継いだ
沖縄に帰国後建善寺(首里)の住持となるが
数年後、住職を辞して
故郷の北谷玉寄村に、隠棲し村人の求めに応じ
病のある人々には祈祷してあげ、求めるお札をあげ
また、田畑が害虫に悩んでいるとき、徐去のお札をあげ
祈ると村人の求める通りに成ったという
南陽は、生き仏として崇め
親しみを込めて、北谷長老と呼んだ
南陽紹弘は、1651年11月5日の遷化した
北谷東のむい(丘)の所に葬られている
毎年3月3日に墓前祭りが、村人が集って行われている