波照間島は、沖縄県八重山郡竹富町波照間
日本最南端に位置する島、沖縄本島から南西約400㎞
石垣島から63㎞、面積12.73k㎡、
人口490人(2017年3月末現在)
島に人が住み始めたのは、西表島に次いで
二番目に早く、3700年前頃とされている
西側にフカ(富嘉)ムラ・中央部にメーシ(名石)ムラと
メー(前)ムラ・東にニシ(北)ムラ・ペー(南)の
二集落で、五つムラが形成されている
波照間は、オヤケ アカ八・長田大主などの
歴史に登場する英雄を排出している
1500年に、オヤケ アカ八の乱に敗れ八重山諸島は
琉球国の支配下に入った
1637年、宮古諸島・八重山諸島にだけに人頭税が導入された
この過酷な人頭税に耐えかねて、ヤグムラ住民、四十人から五十人が
琉球王府の貢納船を奪い、パイパティローマ(南波照間島)へ
脱島したと云う伝承がある
波照間は強い信仰深いことで、よく知られている
島内には、ワー(御嶽)と言う拝所が、各集落にあり
住民はいずれかの、ワー(御嶽)に所属し
シカー(神女)もいずれかのワーに所属している
このシカーが全ての祭祀・神事を執り行う
波照間島には、始祖伝承、プーリン(豊年祭)、シチ(節祭)
ムシャーマ(盆祭)など、年間四十以上の祭祀があり
継承され大切に守り行われている