久米島にマキヨと言われる血縁集団が集落を形成し
古から根神(神女)、神人いた
各集落事に宗家から選人された女性が
神職者として祭祀行事が行われた
第二尚氏三代目尚真王(1477~1526年)が
統治していた時に、宗教改革を行い神職者を組織化した
久米島でも行われ、十人のノロとその上にチンペー(君南風)が置かれ
神職者は王府の管吏(公務委員)になる
十代目尚質王(1648~11668年)の治世の時
羽地朝秀が1666年に摂政の地位についた
薩摩藩の侵攻以降、琉球は国全体が疲弊していたため
国を立て直すためだった
羽地朝秀は、統治機構改革と宗教改革を行った
政治と結びつき莫大な額の出費と成っていた
諸祭事の短縮と合理化を断行したその結果
羽地は財政再建に成功した
また、王府、士族の中に仏教を取り入れた
そのため琉球独自の宗教は薄れていった
1879年に廃藩置県によって
ノロは管吏の職を失ったが祭祀は続けて行われていたが
沖縄全域で、ノロの高齢化と継承者が少なく
このままだとノロ(神職者)と伝統行事は
遠からず途絶えてしまうであろう
久米島も例外ではないと思う